これは1854年から1862年まで未開の地を探検し、生物のアジア区とオーストラリア区の境界ウオーレス線を発見したA.R. ウォーレスがアルー群島で最初に王様極楽鳥を見た時の感動を記した旅行記「マレー諸島」の文だ、彼が想った事は150年後人類の前に自然破壊の恐ろしい現実となる。ウォーレスはダーウインより前に進化の仕組みを述べ、人間が形質の変更から脳の中の進化へ転向した始めての生物であり、又20世紀にやっと認められるようになった大陸移動にも気付いている。そしてこの本の最後に、技術革新の上に進んでいく西欧の工業化社会は決して人類を幸福にしないだろうと言っている。 自然はこんなたくさんの事を教えてくれるのだ。
それはまだヨーロッバではまったく不完全にしか知られていないということを私は知っていた。博物学者の胸は感動で時めく。その彼は今まで、記載や絵画、あるいは保存の悪い外皮だけによって知られていた現物を、自分の目で見たいと長い間切望していたのだ。特にその生物が卓越して稀れな美しいものであれぱ、それを表現するためには十分な詩的能力が要求される。私が自分で見つけた遠隔の島は、ほとんど誰も訪ねたことのない、商船や艦隊の往来から遥かに離れた海洋に位置している。野生の、豊かな熱帯の森林、それが四方に遥かに伸びている。.私を取り囲んでいる未開で文明化されていない人々、そういったものの全ては、私がこの「美しいもの」を眺めていっそう感動させられる原因であった。
私は過去の長い時代を考えた。その間、この小さな生き物は連綿として幾世代も生き続けて来たのだ。この暗く陰気な森の中で、年々生まれ、生きそして死んで行く、彼らの美しさを眺める知的な目もここにはなく、どう見ても、まったく美の気紛れな浪費である。そのような考えは憂鬱な感情を刺激する。悲しいことには、一方では、そのような非常に美しい生物が生命を燃やし、その魅力をこの野生の荒涼たる地域でだけ誇示し、望みのない未開の状態で幾世代も過ごす運命を持っていたのだ。他方では、文明化した人間がこのような遠隔の土地に到達し、そして道徳的、知的、物質的な見方をこれらの処女林の奥地に引き入れるならぱ、有機的、無機的自然の見事に均衡のとれた関係をひどく撹乱し、彼のみが自然の素晴らしい構造と美を認識し楽しむことができるその美しい存在そのものの、消減、そして遂には絶減の原因になるだろうことは確実である。この考えは、全ての生き物が人間のために作られたものではないということを、われわれに確かに物語っているのに違いない。それらの生き物の多くは、人間とは何の関係もない。それら生物の存在は人間とは独立に循環し、人間の知力の発達によるあらゆる進歩によって撹乱され破壊される。そして、それら生物の幸福と楽しみ、愛と僧しみ、生存競争、活力ある生活と早い死は、それら生物自体の安寧と永続とだけに直接関わっているように恩われるし、それぞれの種が多かれ少なかれ密接に結びついている無数の他の生物の、同じような安寧と永続によってのみ制約されているのだ。
酒の話、付き合いで飲む時は何を飲むかあまり選べないが、自分で飲む時は値段以外自由に選べる。焼酎やウイスキーを飲み過ぎて精神バランスを崩した時が有るので、近頃は1日おきに飲むという変なことをしているが、世界の酒を色々知ってみたいなと思う。ロシアのバーで高いウオッカ飲み、酒屋で一番安いのを買って持ち帰った。中国では茅台酒が高いのでガイドにもどきを探してもらった。これはシュタール ウント アイゼン(鉄と鋼)と言うのだと聞いて、長くドイツに赴任していた義兄と飲んだシュタインヘーガー(ドイツ・ジン)とウオッカのカクテル。?日本酒では早く死んだ同僚と大手町の地下で飲んだ玉乃光、新橋の高架下で帰りがけに飲んだ〆張鶴、徳島の阿波踊りの後で鰹の叩きで飲んだ司牡丹や金陵、津軽の造り酒屋に泊めてもらい飲んだ関乃井。酒とは要するに一群の思い出であり、自分は酒飲みの友人が好きだったのだ。
参加するNPOの事務局から送られた、新建誌「建築とまちづくり」530号のコラムで、日頃私が考えていることが実践されている、年寄りが安心して住めることを目指した集合住宅の2例を要約してみる。「ノビシロハウス」は、上京時不親切な不動産業者に当たって、自分が不動産業を始め、年寄りの入居が困難なのに愕然とし、色々な職業の人に協力を得て、自分で始めた賃貸アパートだ。見かけは2階建て2棟だが、中にクリニック・訪問看護ステーション・カフエ・コインランドリーが入り、町の多様な機能を持っている。また若い人に格安で入居してもらい、声掛けやお茶会をしてもらう、つまり街の世代間コミュニケーションまで備えているのだ。結果家賃は少し高くても、介護付き老人ホームよりはるかに安く安心して暮らせるのだ。
もう一例鵠の森舎(くげのもりしゃ)は、かなり広い敷地に5~8戸の2階建て棟割長屋が5棟建っている。だが全く同じものが直列に並ぶので無く、凹凸や角度を持ち、前面にオープンデッキ、間に誰でも通り抜けられる路地とイベント広場が有る。さらにDIYで改造や菜園など一般的な禁則だらけの囲い込まれた団地とは異なる住み方を造っている。これを企画・設計した不動産及び設計者は、農家から土地を譲られるとき地域に根差した物を造ってほしいと言われて考えたそうだ、これは都市計画では知られた「ラドバーン方式」である。さらにここから自分には明確に理解できないが、物件を不動産小口化商品として、入居者や企画者の社員などが投資して、配当を貰うという仕組みを作っている。このほか「フランスの賃貸住宅事情」のコラムが有り、政府の都心に若い人を住まわせるための家賃補助、公営住宅の投機的な取得の抑止、郊外の団地における住民の偏在対策などの施策を紹介している。不動産業はセキュリティーで何重にも囲われた、刑務所の様な島を造り、街を壊してこれを「まちづくり」と宣伝するが、街とは多様な人たちの開かれたコミュニティーの場所なのだ。
ここまで約3500ページの内2500ページ近くを1年以上かけて読んで来た。バリバリ読めるときは少なく、あまり進まなかった、しかし飽きて興味を失うことも無かったのは、著者の英国人らしいシニカルだがスタンダードな物の見方に有るのではなかろうか。2世紀に暴帝、氾濫、蛮族の侵寇により大帝国の斜陽が始まる。その中でコンスタンティヌス帝は、初期キリスト教により30年余の統合を果たした。しかしフン族、ゴート族の侵入(いわゆる民族大移動)により世紀後半に西ローマ帝国は消滅する。戦争と疫病と飢饉が吹き荒れる時代に、地方の名も無き家系出身のユスティニアヌス帝は強烈な知力と精進により、キリスト教による信仰の統合、法典作成を行い、名将ベリサリウスを登用して、33年間東ローマ帝国ビザンティン帝国を治めたが、将軍に続き世を去る。さて一般的に歴史書はその時代の支配者(英雄)の物語を読むことなのだが、その下の軍人たちは統率者に見捨てられ、一方支配者は軍の中から次の支配者として名乗りを上げる者に裏切られ、結果は両者とも悲惨だ、さらに土地の争奪争いの中で、食料生産者として簒奪を受ける農民も同じだ。人類の歴史は圧倒的多数の被支配者の中に有り、史書に表われるのは誇張されたわずかな人間の愚行なのだ。その中でギボンは、現代の混乱する世界を照らし合わせて考えられるほどの、本質を衝く哲学を拾い上げている、この大著がどこの図書館にもある所以であろう。
この本は「アメリカ大都市の死と生」に集大成された、著者がヴォーグ、ニューヨーク・タイムズ・マガジン、アーキテクチュアル・レビユーなどに書いて来た都市論と、その後も探求した都市経済学のサブテキストである。高層オフイスビルについての対談で、中心部にステータスとして建てられた高層ビルは捨てられ、大企業は郊外の倉庫のような広いスペースに移動している、データ通信の発達で集中した場所でビジネスを行う必要はなくなった。しかし高層ビルは他用途への転換には向かず、都市中心部の荒廃と郊外の搾取によるインフラ整備予算への圧力の原因となる。都市を経済活動の面から見るにはケインズのようにマクロな統計を分析し、演繹的に一つの結論を出すやり方は具体的にどの都市にも当てはまらない。方向を決めずに都市内の局地的な商業の動きなどミクロなものを積み上げて、遠い結果を見ず短いスパンで考えねばならない。それ故立地条件、歴史、住人の人種を含めたメンタリティーなど極端に多い変数を持った都市に対して国、州など上位の自治体が方針を決めて予算を配分するやりかたでは、大規模な都市改造計画やスラム解消団地などがうまく行かないと述べている、これは中央集権から都市国家指向への変更であり、アンチ・グローバリゼーションである。
さて晩年の世界銀行との対談で次のように言っている。
最も重要な考え方は、農業時代の凶作の経験から直接生まれました。これは供給、需要、価格の間には、なんらかの関連があるという考え方です。豊富にあるものは稀少なものと違って価格が安く、使い捨てにしてもまったくといっていいほど、残念に思うことはありません。森林は豊富にあると見られていました。不愉快なことですが同様に、土壌、水、新鮮な空気も豊富にあるため、安価で自由に使えました。今でもこのように考える人はたくさんいます。ありあまるほどいる人間の命は、安価で自由に使えると解釈されるかもしれません。そうであったら、普通の愛国心の強い市民が異常な殺裁を受け入れ称賛するようにさえなったでしょう。異常な殺裁とは、暫壕戦、マスタードガス攻撃、意図的な飢僅、ドイツの電撃戦、カミカゼやナパーム攻撃、ジェノサイド、民族浄化、ジハード、自爆テロ、地雷、さらには、説得力はあるものの狂気の超愛国主義者の狂気のビジョンにとって、その存在が不都合になった人たちを無差別に死に追いやったことなどです。
著者は世界の現状を地獄絵として見せてくれているように思える。
死と生というより死と生きざまと訳した方が良いかもしれない、アメリカの都市計画についての500ページの本だが難しくなく、街のおばさんの世間話のように痛快だ。都市というと一体何を指すか、範囲も曖昧な場所に建物と人間とその生活がぎっしり詰め込まれ、空間は道路、公園、看板、部屋などに細分された入れ子構造になっており、論じるときは結局エベネザー・ハワードの田園都市やル・コルビジェの輝く都市のように概念化するか、又は現代の複雑な情報化社会を目を閉じて撫でた象のように表現する他無い。しかし著者は違う、ニューヨークでスラムから再生を目指すグリニッジビレッジに住んで、ブルドーザー式の再開発反対運動の中で、自分が見て感じた事をそのまま都市論にしているのが彼女の強みなのだ。行政や設計者の頭の中に固めた過去の考え方を全てゴミ箱に投げ込み、再開発の帝王たる官僚をこき下ろして、都市はソフト・ハードの多様性によって人や仕事を惹きつけるのだという、ザ・ビレッジは彼女の何回もの逮捕による奮闘でスラム再生計画の大規模建て替えや高速道路による分断を拒否して生き返った。この本の執筆が始まったのは1958年で出版が61年だ、この時期各所で進められた再開発の重要な出来事として知られるシンシナティのプルーイット・アイゴーは1956年に大規模なスラム再開発団地として、建築家ミノル・ヤマサキ設計により完成したが、再スラム化してわずか16年で爆破除去された。都市を健全で活気あるものに育てるには道具立て(建築)と人間の多様性を壊さないようにせねばならないという言葉の通りに複雑な都市が変化したのは、偶然その時期に要因が揃ったからか、いや少なくも演繹的なものは星の数ほどある人間の心を満たせないというのが正しいのだろう。日本で建築審査会や公聴会に出てみて、実際街を見ていない同意先や手続きの多さ、出来る物の単純さに驚く。ジェントリフィケーションという言葉がある、ある場所が同じような階層の人間ばかりになるとそれ以下の階層への追い出し効果が出てくることだ、このままセキュリティーで閉ざされた孤島のような大規模アパートが並べば都市と呼ばれる物では無くなる、ジェイコブスに何故話を聞かなかったと言われるだろう。
佐藤先生は長年都市計画の具体的手法を研究され現在も早稲田大学に研究室を持っておられる。10年ほど前所属するNPOの講演会で考え方を伺い、その頃浅草橋駅のバリアフリー化の問題などに役立てられた。最近又北区の方で都市計画スケールの仕事を頼まれて、俄仕込みで先生の本を読み始めた。いつも例に上げて比べられるのは、フランス革命後のナポレオン3世時代、オースマンによるパリ改造と産業革命後の環境悪化に対するハワード、アンウィン等の田園都市構想であり、どちらも現代に生きて住みやすい都市の役に立っているが東京はどうなのか、まず集合住宅の歴史を調べこれを手掛りに有るべき方向を見付けようとするのである。はじめの大きな計画は関東大震災後に同潤会が国の補助により実施した仮設住宅と、その解消のため当時郊外であった赤羽、十条、京島などに造られた長屋、重ね建て(玄関は1階で居室は1,2階別世帯の4戸)など含む木造団地であり、住戸の背面に共用中庭・井戸、主要道中心部に授産施設、商店などが配置され都市機能を備えていた。この頃ロンドンに習い東京の周囲にグリーンベルトが想定された。次は村山、板橋、赤羽など軍需工場に隣接した全体主義による軍事体制下の画一な職工用大規模平屋木造団地である。これらは都市施設は無かったが、空襲の延焼を考慮して敷地に余裕があり意図せず敗戦後スラム化を逃れた。戦後は復員や地方からの流入で急速に人工が増え焼け跡のバラック解消のため、住宅公団が都市環境の為グリーンベルトと想定された周辺地に中、低層の鉄筋コンクリート団地を供給するが、皮肉にもこれらは環境も良く住民の結束で管理が行き届いている。用地が不足すると見渡す限りの畑の中に、何千戸というスケールの団地が出現するが、商業施設を持ち外の世界と繋がりがなく、同じ世代で収入も同じレベルの人口構成は年齢層の輪切りと呼ばれ、現代において建物の老朽化、住人の老齢と貧困化により、建て替えと低所得者の追い出しの問題が急迫している。いま都市計画で考えるべきことは、団地を如何に周辺の民間開発住宅とシームレスにコミュニティでつなぐか、中心部の木造密集地域で策定された、立ち退きによる自動車用の大きな計画道路が古いコミュニティを壊すのを防ぐかである。佐藤先生や他の研究者はいずれもその場所のアイデンティティーを活かし、計画を見直してトップダウンでなく住民とコオーディネーターの参加により進めるのが良いと考えている。
筆者は数理物理学者で宇宙論を中心に研究しているが、この本の内容は非常に広く、進化生物学、論理哲学、さらに芸術、宗教にまで広がっている。原子を構成する素粒子は何とか痕跡を見ることが出来る、しかしその先はもう見ることが出来ず、数学に置き換えて進むほか無い。各素粒子の性質を説明する構成要素として6種類のクオークが、さらにその要素としてスーパーストリングが考えられた。
宇宙(時間、物質、場所)は1箇所で始まり膨張し続けているという、しかし10の-35乗秒(ゼロが35ついた分母)以前の状態、我々の居る宇宙と同時に出来たと言う別の宇宙や反物質、これらは数学に置き換えて探る他無く、スケールの極大、極小の先に限界があるのか、人間の脳の限界とどちらが先に終わるのかは知り様が無い。ハイゼンベルクは不確定性原理において物理現象は1本道でないのを示した。そのわずかな揺れが初期の状態から人間を含め多様な世界を造ったという。(神は)全てを知っているというのは宗教であり、ラプラスの決定論は成り立たず、分かりえない物事が有るのが本当の科学だという。この本は400ページ有り後半は極端に難しいが、第4章 人間であることの中に「現代美術と文化の死」の項が有る。ヒッピー時代の科学社会学者ガンサー・ステントは「現状を芸術家に課せられた制作上の制約を解除する進化論的過程の結果だ」と解釈しようとした。新しい素材や媒体が現れて創造性を発揮する方法が広がってきた、同時に何がいかに描かれるか(描かれないか)は着実に後退してきた。そこから出て来る構造は、形式的なパターンが無くなり、ランダムに近づいて、他の人の作品と区別するのが難しくなった。音楽、建築、詩、絵画・彫刻など似たような流れをたどる。その様式の漸近線は、純然たる主観的反応しか求めない、最後の無構造状態に近づいて居るのではないかとステントは言う。筆者は、この芸術の悲観的な構図は、個々のレベルで制約された創造的表現を探って成果が上がってもだんだん見返りが少なくなる例である。そのくびきから逃れるためには、個々の創造性が表に出てこなければならない。我々の技術的社会的発達は、正反対のことをしている、人々の共同が大きくなり連絡が簡単になることを進歩の尺度と見ているという。
人間の脳は1キロちょっとだが宇宙から物質の成り立ちの幅のスケールの中で、最も分からず、最も広い世界を持っているらしい。芸術の行き着くところは不可知だが、断片化を避けて広く現在の科学の状況を概観し、その上でまだ見えていないものを見なければ先へは行けないと思う。
この本はテーマが2つに分かれており、前半は歴史や文化人類学的見地からユダヤ教、キリスト教、イスラム教の古い大宗教の変遷と相関関係を分析しながら、その教えについて現代の自分の宗教を持たない、言い換えれば科学的観点を持った人間が見ると、倫理的とは言えない我がままや残虐な内容が、またある時は同じ宗教の複数の教義でいかに相反する内容が含まれているかを述べている。そしてそれは書物を持たない時代に伝言ゲームの中で変貌し、時間の隔たったのちの時代に別々に書き記された為に神話化され、キリストの復活、ノアの箱舟、処女懐胎などこじつけて解釈せねばならないものとなり、どれも生き方の指標を示すには不適当であることを明快に示している。
さて後半では筆者もそうであるが、幼いころから刷り込まれた宗教観や慣習、それは白紙の脳にとって悪に走らない為にある意味保身に必要かもしれないが、自分で物事を考え判断するようになった時、成長して神のいない世界へ脱却せねばならないという。ではこの複雑で多岐な生物界は誰かがデザインしたのではないのか、物事の始まりは何時でどの様だったのか、まだ分からない事はあるが神に頼ることは無い、化学はすでにスーパーコンピューターをさらに集積して宇宙の形態をビッグバンの直近までシミュレーションすることを可能にし、生物の発生や遺伝の仕組み、各部分の働きを分子生物学で解明している、物事は科学のみが説明する、如何に生きれば良いかは科学を理解する人間しか分からないと言う。
図書館で面白そうな本が見付からず、どんな本でも字が書いてあれば何か意味が有るだろうと、一番怪しげで下らなそうなタイトルのを借りて、仕事の頭休めにばらばらの部分を虫食いで読んでいた。これは事件を事実や分析した内容では無く、ただ誰かの脳に腐った沼のメタンガスのように浮かび、巷に広がった噂話を並べたものだ。JFK暗殺、プレスリーやマリリン・モンローの死、何回か有ったカルト集団100数十人の集団自殺、チャレンジャー号爆発、3.11航空機突入テロ、事件が大きいほど、状況が異常なほど、死者が有名なほど、いくら新聞で多くの事実や証言を並べられても何か釈然としない、死者は物を言わず結局確信を持てる事実は誰にも分からず、裏に組織が有った、あるいは陰謀が行われたという感覚を、もちろん自分を含めて皆が持つ、一方これが陰謀ならこれ以上詮索させないで何とか忘れさせようとする力が働いているようにも見える。ちょうど読んでいる時に、カリフォルニア・シリコンバレーで会社をやっている友人が、日本に帰っていて、一人で墓参り中に倒れ発見が遅れ亡くなったと知らせが入った、ついこの間オンラインでテレビ電話をしたばかりなので、トランプに批判的だったし果たして言われた通りの死因だったかとふと考えた。人間のこういう傾向が噂を伝言ゲームの要領で迷信や神話に変化させたのだろう。
朝起きてから会社に着くまでに次から次へと、一般的には不運と思われることが起きる。足を家具にひっかけ、冷蔵庫の中の腐敗した飲み物を飲んでしまい、物を排水溝に落とし、自動車に入れる燃料を間違え、靴底がはがれ、どしゃ降りのにわか雨に濡れ、カバンを無くすなど、人はこれを「ついてない」という。しかしこれら一つずつは神や悪魔の仕業で無く、知り得ないところで起因し、複雑に絡み合った事象の連鎖であると、物理学・生物化学・果ては天文学まで持ち出して、必ず原因と被害を避ける又は抑える対処法が有り、つまりギャンブラーがよく頼りにする「つき」や「ゲン担ぎ」は意味がない、この世界を説明できるのは科学だけだと言っている。アメリカでこのような迷信や占い、神秘主義、宗教原理など、非科学的なことがはびこり、未だ進化論を否定する政治まで行われる、これが科学者がこういう本を書く必要が有ると思う動機なのだろう。
私は日本人の書いた本はほとんど読まない、著者は日本人だがドイツ在住で、都市交通計画のコンサルタントをしている。ドイツ南西部フライブルクを例にどの様な経過をたどってモータリゼーションや人口減少による国の破綻を防いで、先の道を探ってきたか、逆になぜ日本はコンパクトシティと地方の過疎化対策に失敗し、国の経済破綻を招いたかを論じている。私の住んでいる市も国の方針とやらで闇雲公共施設統合、縮小を進め箱物の造り替えと、中心部に大規模な駐車場、商業施設の整備などに金を掛けようとしている。 著者は、人口減少と高齢化の中で、地方の小都市で高速の道路で、より大きな行政、商業サービスのある都市と結ばれるのを望んでいるのは奇妙だという。大きなインフラ建設業者や、マイカー関連企業は地元に利益を落とさず全て吸い上げてしまう。高齢の運転者に免許返納を呼び掛けているように、徐々にマイカーは減って金のかかった道路は無駄となり、買い物、行政サービス難民が増えるのが見えているのにと。また大都市側も中心部の高価な土地資源を失い、高くついた道路は車の増加で交通渋滞が起きて使い物にならなくなる。これを信号システムや自動運転などハイテクでカバーしようとしても、又大企業が利益を得るだけで地方経済に還元は無い。興味深いのは交通を高速化しても、市民の外出時間短縮、回数減にはならず、その分周りに何もない郊外の大規模店に行くという統計が出ていることだ。
ドイツは1970年ごろマイカー社会を、低速の市電に方針転換した、これも結構高くつくが地元の電力会社などの企業が補填して、経済の小さなサイクルを回すようにしてきた。 さてこの先はどうするのか、グローバルな温暖化対応、サスティナビリティ―の観点から行き着いたのは究極の低速交通、自転車と徒歩である。驚くべきことに全く信号や標識、道路の線引きの無い街、これを道路を自動車、自転車、子供の遊び場などに使う意味でシェアードスペースと言うが、幹線道路が交差する所に試験的に造り、ヨーロッパの他の都市でも追従が始まっているという。必ず行き詰まり・提案・反対・試行・修正を経て、粘り強く進んで来たのだ。
迷信や占い、たまに起きる偶然などを利用し、科学の様な顔をした悪意ある詐欺と、そういうものが好きで信じたがり、財布を軽くする科学に無知な人間、もちろんこれには政治家や軍人、そして科学者の一部も含まれているのだが、この様な色々な例がまだ挙げられている、アメリカでは病気を治す記憶を持たせたという水が、無害だと許されて高い値で売られている、何しろただの水なのだから。物理学会では一時大騒ぎとなった常温核融合に関する情報交換会が、不可能と証明されてもなお未だに行われているなど。だが一番筆者自身が言いたいのは宇宙ステーション計画だ、冷戦時代に宇宙開発競争が始まり、有人宇宙船や宇宙ステーションが科学や軍事上のアドバンテージをもたらすという宣伝で、莫大な費用や、人命を費やして行って来た代償にいったい何が得られたか、結局高価な人体実験をしただけなのだから、早く有人宇宙船などやめなさいと言うのだ。確かに目的不明のまま国のメンツだけの為に行われているように見える、ハヤブサ計画のほうがよほど科学研究に役立つだろう、ニセ科学を見分けてクールな頭で回りの世界を見る事が必要なのだ。
同じようなテーマの本に「なぜ人はニセ科学を信じるのか・UFO・カルト・心霊・超能力のウソ」マイクル シャ―マー が有る、こちらは進化論の教育に関する裁判や、ニセ科学を面白おかしく取り上げたマスコミをやっつけようと奮闘する筆者を、ドタバタ調で描いて真面目で楽しい読み物になっている。終わり
筆者はスティーブン J グールドに近い考えの古生物学者である。荒野で化石を掘っているのが仕事と思われるがそうではない、各地・各時代の化石記録をデータベース化して、生物種が発生から絶滅までの種及び個体レベル数を統計解析しているのだ。近年誰の目にも明らかになってきた気候や生物種の変動に対して、確証が無いとして行動をしてこなかった人類に対し具体的なものを示そうと意図しての事だ。明らかになったのは、分布は地球規模の事変が無ければ釣り鐘型を示し、頂点に達し減り始めると勾配は急に下がっていくのだ。現在の地球生物種は急速に減少しているのは明らかだ、以下は著者の一番言いたいところであろう。
「絶滅とヒトとの関係 19世紀初頭、世界の人口は9億人前後であったが、世紀末にはそれが2倍になった。そして現在、前世紀末から100年しか経っていないにもかかわず、人口は70億人になんなんとしている。20世紀前に始まった産業革命が予想以上の規模で進行したために、環境は悪化し、都市が急膨張して、化石燃料の無節操な浪費が行われるようになった。人問の活動はヨーロッパと北アメリカ双方で無思慮、無計画に行われ、それが結果的に新たな帝国の誕生に繋がった。人類の利己的で身勝手な振る舞いは今もなおつのるばかりだ。第二次世界大戦が終結して以後の50年で達成した先進国の経済成長のせいで、環境の変動率はいちじるしく増大したのである。私は先史時代を生きた現生人類たちが獲得していった能力として、直立2足歩行、発達した親指、言語、未来を予測し計画を立てることのできる能力、そして白己中心的な性向などをあげた。このような現生人類が存在したからこそ、ヨーロッパではネアンデルタール人が、北アメリカでは膨大な数の大型哺乳類がともに絶滅させられたのではなかったか? しかし、私はここで、人類のかくもうさんくさい能力にもう一つつけくわえねばならない。それは環境を変える能力である。過去200年、私たちはその能力をいかんなく発揮してきた。環境は大幅に悪化し、回復不能な状態に陥っている。地球という複雑な系への強制的で連続的な変更行為は、それを強いられた場所が1部に限られるとはいえ、その影響は連鎖的に拡大して地球全体に及び、緩慢なる絶滅への道をたどっていることなのだろう。
自然界が一つの法則で出来ているならなぜ均一なスープの様な物に成らないのだろう分子の形は右勝手と左勝手が有り、鏡像関係の物質は結構有るがその働きは同じではない。動物を形成するDNAやアミノ酸は皆同じ右回り螺旋であり、それどころか分子レベルよりもっと深い原子、素粒子、さらにクオークのレベルまで対称性が破れているという。葡萄酒の底にたまる酒石酸と対称な形のラセミ酸は融点や偏光軸の回転方向が違う、オレンジとレモンの香りは鏡像対象の分子による、サリドマイドは鏡像分子が混じっていた為に悲劇を起こしてしまった、ところがオーストラリアで見付かったマーチソン隕石には膨大な有機分子が含まれていて、アミノ酸は地球上の物と逆巻きの螺旋であった。この本のここら辺までは自分の知識でなるほどという感じで読めるが、この先は科学者はそう言う事を考えているのかくらいしか理解できない。素粒子にプラスの電荷の陽電子や電荷の無いニュートリノが有り、更にその構成要素のクオークが全てスピン(自転)を持っているので、宇宙の始まりの10-14秒という高エネルギー時には物質と反物質が、時間と反時間が同時に生まれて何かわずかの偏りによって今の物質だけが残ったのであろうという。見えないものを理解し記述しようとする科学者、はてこの本は何を言わんとしているのか?
ルイ・パスツールは以後に様々な科学者が気付き、考えを進めてきた内容を知らずにこんな言葉を残した「私たちが目にする生命は宇宙の非対称性の結果である」人間は星屑が偏って集まった物だ、これが著者の言いたい事かも知れなiい
コロナ禍の4・5月NPOで参画している、福島原発事故の損害賠償裁判が無期延期になり、図書館は空いていないので読む本が無くなり困った。言う方はStay home だがこちらはLive in homeなのだ、コギトエルゴスム生きるとは考えること、考えるには本が要る。掃除しながら見渡したら読みかけの本が有った。仙田先生(以下 先生)は大学の2学年先輩でデザイン研究会、私は美術部の共にキャプテンで予算を取り合った。また私が師事した村野藤吾先生の没後、事務所が解散して仕事もあまり無かった時に、手伝えと言われて日吉駅前の慶応大学会館ビルや広島マツダ球場など数年お世話になったので師匠でも有る訳だ。用事で伺った時サインを入れて頂いた本で記念品のように置いてあった。幼稚園・保育園・学校施設など多数設計された先生の建築における考え方はある程度理解したつもりだ。しかしこの本で知ったのは、先生が随分積極的に政界や学会に働きかけ、その中で働いて来たという事だ。私は30年以上芸術としての建築を学び、NPOに参加して今度は欠陥建売住宅、マンション建設反対の近隣闘争、原発事故損害賠償裁判など華やかな設計の世界とはかけ離れた建築の裏の闇を見てきた。先生と呼ばれる世の建築家が大きな発言力や多くの機会を持ちながら何も考えを示してこなかったと、非難して来たが単純なステレオタイプ化は出来ないと気付いたのだ
自然界が一つの法則で出来ているならなぜ均一なスープの様な物に成らないのだろう分子の形は右勝手と左勝手が有り、鏡像関係の物質は結構有るがその働きは同じではない。動物を形成するDNAやアミノ酸は皆同じ右回り螺旋であり、それどころか分子レベルよりもっと深い原子、素粒子、さらにクオークのレベルまで対称性が破れているという。葡萄酒の底にたまる酒石酸と対称な形のラセミ酸は融点や偏光軸の回転方向が違う、オレンジとレモンの香りは鏡像対象の分子による、サリドマイドは鏡像分子が混じっていた為に悲劇を起こしてしまった、ところがオーストラリアで見付かったマーチソン隕石には膨大な有機分子が含まれていて、アミノ酸は地球上の物と逆巻きの螺旋であった。この本のここら辺までは自分の知識でなるほどという感じで読めるが、この先は科学者はそう言う事を考えているのかくらいしか理解できない。素粒子にプラスの電荷の陽電子や電荷の無いニュートリノが有り、更にその構成要素のクオークが全てスピン(自転)を持っているので、宇宙の始まりの10-14秒という高エネルギー時には物質と反物質が、時間と反時間が同時に生まれて何かわずかの偏りによって今の物質だけが残ったのであろうという。見えないものを理解し記述しようとする科学者、はてこの本は何を言わんとしているのか?ルイ・パスツールは以後に様々な科学者が気付き、考えを進めてきた内容を知らずにこんな言葉を残した「私たちが目にする生命は宇宙の非対称性の結果である」人間は星屑が偏って集まった物だ、これが著者の言いたい事かも知れない
自分が40歳頃だろうか、子供がパソコンでゲームをやるのがはやり始めて買ってあげた。図形を描くプログラムの本にはサイクロイド(円をずらしながら描く)やフラクタルの(相似形を比例を変えてつなげていく)例が出ていて出力して遊んでいた。フラクタル図形は自然の形の生成を探求する為に数学の中で考えられたという内容の、これと同じようなタイトルの本を読んだ覚えがあり、あの頃より科学はずいぶん進んだろうと思って図書館で借りて見た。著者は英国ウオーリック大学の数学教授である、始めのほうは対称性を手掛かりに自然界を説明するために数学がユークリッド幾何学の外に出て研究されてきたという事で、なるほどという感じで読んでいたが徐々に「カオス理論」「カタストロフィー理論」が出てきて、物質は物理法則によって関係を保ち運動しているのになぜ不規則で混乱したものが生まれるのか、話は拡張して徐々にほとんどりかいふのうになった。ビッグバンから宇宙の成り立ち、生物の形の発生学的な説明、熱力学の第2法則、物質は混ざり合って均質で動きのない、死の状態へ不可逆に進むというのは小さい範囲でしか成り立たないこと、アインシュタインの目指した重力と電磁力の統一理論はいまだ出来ていない、ラプラスの悪魔といわれる決定論は成り立たない、状態は急に壊れる、素粒子の先の紐理論と対称性の破れなど、そして地球や太陽系の行く先の話など。数学、天文学など、生化学は先の世界の為に研究を進めていることが分かった。
牧場主がニュ-メキシコ州の砂漠で合成ゴム片、金属フオイル、棒状の物などを拾った。空飛ぶ円盤の話を聞いて、保安官に破片を見付けたと言うと彼は軍の飛行場に話を持って行った。飛行場はこれを発表した、すぐに「レーダーの標的であった」と訂正したが逆に円盤墜落の隠蔽工作と受け取られ、噂は広まってロズウェルの町は観光地となった。UFO本やエイリアンのTシャツが飛ぶように売れ、人気キャスターがABC.CBS.フオックステレビなどで娯楽番組に仕立て、とうとうエイリアンの解剖フイルムまで現れた、当然すぐにインチキがばれたが。当時未だ冷戦時代で、実行寸前だと思われたソ連の核爆弾を感知しようと、軍は気象観測を装って極秘にスパイ気球を打ち上げた。これを機密扱いにして2重の作り話をでっち上げたのが、後の軍の文書公開で明らかになった。しかしUFOフアンはますます政府は信用出来ないとして、ロズウエルの街に集まり、エイリアン人形やTシャツ、本などを買いあさった、これが真相だという。この著者は米軍やワシントンの科学顧問として働いていたので、特に政治家や軍の人間が科学に無知なのにつけ込んだニセ科学の詐欺と、それを利用しようとした政治家の例を詳しく書いている。実は何の関係も無いと証明されたが、今でも話に出るマイクロ波の健康被害で、送電線とガンの発生率が関係が有るとして、おびえた電力会社を食い物にした弁護士や調査会社。1984年レーガンが宇宙から発射するレーザー兵器という怪しい情報に飛付いて、スターウォーズ計画を発表し、その4年後までに政治家や軍人をだまして300億ドルの税金をせしめた、ジャンク科学の発案者とグルの軍需産業、これは1回だけ実験が行われたが何も起こらず金だけが消えた。1976年あるベルギー人がフランス政府に空から鉱床を見付ける装置を持ち込んだ。当時の保守党大統領ジスカル・ディスタンはフランスが優位に立つ可能性があるとして、秘密を徹底するよう命じ、3年間で2億ドルを注込んだが最初の1回だけ石油鉱床がみつかり、以後何も起こらなかった、誰も見ていないこの箱の中身を調べたらただのビデオ装置だった、これで大統領は社会党のミッテランに代わった。日本でもこの手の話はいくつもあり、最近では画期的スーパーコンピューターの話に自民党の麻生財務相が乗って国民の金を注込んだが、開発研究の実態は何もなく、責任も取っていない。このような話はもちろん初めから意図的な詐欺のこともあるが、科学の理解不足な者がこんな事が出来るだろうと考えて発表し、やがて不可能に気付き、この時点ですでに金を集めているので、嘘をつき通す他なく詐欺になるケースも多い。迷信や占い、たまに起きる偶然などを利用し、科学の様な顔をした悪意ある詐欺と、そういうものが好きで信じたがり、財布を軽くする科学に無知な人間、もちろんこれには政治家や軍人、そして科学者の一部も含まれているのだが、この様な色々な例がまだ挙げられている、アメリカでは病気を治す記憶を持たせたという水が、無害だと許されて高い値で売られている、何しろただの水なのだから。物理学会では一時大騒ぎとなった常温核融合に関する情報交換会が、不可能と証明されてもなお未だに行われているなど。だが一番筆者自身が言いたいのは宇宙ステーション計画だ、冷戦時代に宇宙開発競争が始まり、有人宇宙船や宇宙ステーションが科学や軍事上のアドバンテージをもたらすという宣伝で、莫大な費用や、人命を費やして行って来た代償にいったい何が得られたか、結局高価な人体実験をしただけなのだから、早く有人宇宙船などやめなさいと言うのだ。確かに目的不明のまま国のメンツだけの為に行われているように見える。
ハヤブサ計画のほうがよほど科学研究に役立つだろう、ニセ科学を見分けてクールな頭で回りの世界を見る事が必要なのだ。同じようなテーマの本に「なぜ人はニセ科学を信じるのか・UFO・カルト・心霊・超能力のウソ」マイクル シャ―マー が有る、こちらは進化論の教育に関する裁判や、ニセ科学を面白おかしく取り上げたマスコミをやっつけようと奮闘する筆者を、ドタバタ調で描いて真面目で楽しい読み物になっている。終わり
この話は1996年に亡くなった、妻の父の遺品の中にあった、義父(以後:Tと記す)の短い文章を含む飛行第45戦隊戦友会発行の「雲翔南に北に」と言う文集及び、その他のコピーと地図、生前にTより聞いた話を資料として、その他の関係する出版物も参照してまとめた。
飛行第45戦隊(以後:飛45と言う)はノモンハン事件よりハイラル、天津、南京、広東と転戦し、昭和17年末に戦況不利なラバウルに向う事と成った。Tは15年1月に安慶から単身呼び戻され福生の飛行学校に入り、卒業後鉾田の飛行学校勤務となった、おそらく体格が小柄だったので直接前線に行かなかったのだろう。自分の家は入間市に在り、すぐ横が自衛隊の飛行場(旧米軍ジョンソン基地)である、ここは所沢航空学校から別れて陸軍航空士官学校と成ったところで、Tもなじみが有り、秋の航空祭に来て、昔を思い出すように滑走路を眺めていたのが印象的だった。八高線で飯能のカフエに遊びに行き、他の兵隊たちと階級の事で口論になり、お互いに軍刀を抜いた、というのがこの頃の話である。さて17年8月に戦線の最南端、ソロモン諸島のガダルカナル島に連合軍が攻撃をかけ、18年2月の同島撤退に向かって戦局が悪化し、17年12月に飛45は当時の使用機九九式双発軽爆撃機を空母龍鳳、沖鷹に積んでラバウルに向うのだが、Tはこのとき未だ飛45に編入されていなかった。第2話ではTが飛45に編入された経緯から書くことにしよう。
龍鳳は潜水母艦を、沖鷹は民間船を改造した小型空母であり、この時期ミッドウェイ海戦の敗北により船舶は不足していた。沖鷹は故障で1日遅れ、龍鳳は護衛の駆逐艦1隻と、九九双軽22機、航空隊員133名を積んで横須賀を出港した。八丈島東160カイリに達したとき、龍鳳は米国潜水艦の潜望鏡に捕えられた、機雷敷設の為ハワイを出港し日本に接近していたサンフィッシュ、トリガーと3隻の内ドラムである、魚雷が4本発射され1本が命中した、死者100余名の内飛45隊員42名、ほとんどの機体が損傷し、船体は大きく傾いて横須賀に引き返した。ドラム艦首の残り2本の発射管には機雷が入っていて発射できなかったという、おそらくもう1本命中すれば撃沈であったろう。隊員たちは守秘の為横須賀に缶詰めにされ、機体と人員の補充が開始される。面目を失った海軍は大型で高速の空母、第三艦隊旗艦瑞鶴を任務に充てることになった。Tの記述は瑞鶴乗船から始まっているので、この時の補充要員として飛45に配属されたのである、船中で豪華な食事を出されたが船酔いで食べられなかったと書いている。5隻の駆逐艦の護衛で12月31日瑞鶴は横須賀を出港し、18年1月4日トラック島に入港した、他の艦が1週間かかった距離を5日で走破した。飛45は1月22日海軍1式陸上攻撃機の誘導でラバウルに到着し、ここでガダルカナル攻防戦、ニューギニア航空戦を戦うのである。第2話は「旗艦瑞鶴へ、飛行第45戦隊急送せよ」平成2年、神野正美氏のコピーを参照した、第3話はいよいよ義父より聞いた戦闘の話だ。
昭和17年8月に日本軍の到達した最南端、南緯9°40’ ソロモン諸島ガダルカナル島の連合軍による奪回戦が始まり、日本軍は18年2月に撤退した。私は丁度この頃8人兄弟の末っ子として生まれた、もちろん戦争の記憶は無く、敗戦後の苦しい生活と、周囲に残る戦争の暗い影を見てきただけだ。これから米軍の圧倒的物量と、レーダー、近接信管(注*赤外線を感知し高射砲弾を爆発させる)技術により、日本機の撃墜が増え搭乗員も激減する、ニューギニア南岸に築かれたフィンシュハーフエンなどの基地勢力に対抗出来ず、5月にはラバウルからニューギニア中部北岸ブーツ、さらにセレベス島メナドへと敗退する。日中の襲撃が激しくなり「輸送船で到着した若い人たちが、目の前でやられていくのが一番つらかった」という。義父Tはこの間12月25日、機種を二式複座戦闘機(双発、攻撃機に改装)に改変のため、ブーツから国内に戻り、鉾田と大阪の八尾の工場を往復していた、このころ「阿倍野の旅館に泊まって、近くの飛田遊郭に行った」と、単身赴任で私が努めていた阿倍野の建築事務所へ家内と子供を連れて来てくれた時話していた、ここからは本人の記述による、19年2月戦線復帰、22日にメナドから出撃し、双発双胴のロッキードP-38ライトニング戦闘機と会戦して撃墜され、負傷してニューギニア中部北岸ワクデ島付近の海に着水した。第4話は生還、そしてジャングルでの自活の話だ。
撃墜され海に不時着し投げ出された、上半身血だらけだった、同乗の本部の人は死んだが、若い大柄な副操縦士は無傷で、自分につかまってくれと言って陸まで泳いだ、この時の傷は残っていて、後日役所で傷病年金の事でもめた時、服を脱いで見せてやろうかと言ったそうだ。日本軍の占領といっても、海岸沿いに点々と拠点があるだけで内陸には踏み込めない。他の人は現地人に助けてもらい友軍の所まで何日も歩いて帰還したというから、Tもこんなだったのだろう。他の本によると、米軍が組織した民兵ゲリラにつかまり捕虜になったとか、現地人の助けで同じ場所に墜落した米軍パイロットとしばらく一緒に暮らしたという話もある。飛45はネグロス島シライ基地で19年11月23日最後の1機を失った。残置部隊といっても要は置き去りである、もはや輸送船も無く、負傷将校を乗せた輸送機が撃墜され全員死亡するという状況であった。20年3月には島々に米軍上陸が始まり、30日ネグロス島上陸、北部のシライ山(1500m)に向い退却する。
「栄養失調で体が膨れ上がると死んでゆく、穴を掘ると蛙が沢山入るので丸ごと煮て食った、奥に入ると山菜も無く、これが沢ガニ、カタツムリ、ミミズに変わり、夜は服の縫い目を噛み潰し、蚤の血を吸った」第5話は、続ジャングルの地獄である。
第5話はTと同じ隊のK准尉、軍曹の文を参照している「この時期ネグロス島は季節が悪く丁度雨季であった、工兵隊により断崖の谷間に掛けられた蔓梯子、その下には渡れずに白骨となったもの、腐れかけたもの、落ちて半死のもの、それも雨が降ると滝となって流されてしまう。水溜りで水を呑むと油がギラギラしている、よく見ると岩陰に腐敗した死体が悪臭を放っているが気にはならない。山に近付いた頃B上等兵がA軍曹を連れているのに出会った。彼は最前線のタコツボで、飛行機から外してきた機銃で奮闘し、栄養失調で失明したというのである。Aは精神的にも異常を来たしているらしく、飢えが嵩じてBが口を動かせば、見えないながら何を食っているのだとせがまれるという。サツマイモを10個ほど与えた、彼らは喜んで食べていたがそのAもまもなく病死したらしい」KY准尉は義父曹長)とO及びI上等兵を連れて付近の村落に塩の徴発に出かけ、川を渡り中頃まで進んだとき、住民側から銃撃されて一旦川に倒れたがすぐに起きあがり軍刀を抜き、俺は日本人だぞ、と叫んだ途端再び弾を受け死んだ。I上等兵も帰らず、O上等兵は肩を貫通され暗くなってから帰ってきた。T曹長は無事だった」「月29日K上等兵が栄養失調による衰弱のため死んだ。Kの最後の言葉は綺麗な水で体を洗って死にたいなー、だった」飛行機乗りの最後は空中でバラバラになるか、不時着が不可能な時は敵に体当たり又は垂直に突っ込んで自爆であったから、今生での切実な願いだったに違いない。最終第6話は、敗戦、投降だ。
日本は20年8月15日降伏していた。18日「戦いは終わった」というビラが観測機から撒かれた、大隊本部は指示を待てという事であった。住民の発砲もなくなり、9月4日に司令より投降する命令が出て、ひげを整え銃を捨てて白旗を掲げ持ち山を下った。上陸用舟艇車に大勢乗ったのに、降りて押せと言われるかと思ったら坂道を苦も無く走って、着いたのはファブリカの大きな木材工場の倉庫であった。上が米軍の宿舎で、床下土間に段ボールの箱を敷いたのが投降者の宿舎であった。全員処刑されるという噂などもあったが、米兵も水を飲むのに並んで順番を待っているし、また回りを気にしてタバコの吸殻を石の下に隠す、このように社会性でも、「鬼畜米英」などと言っていた日本が何時になったら追いつけるか、というほど大人であり、進んでいる事を教えられた。何日かして港から大型上陸用舟艇で全員移動し、レイテ湾らしい所に着きブルドーザーが上陸地を均しているのに驚いた、数キロ歩いて門柱とばら線の張ってある収容所に着いた、タクロバン収容所であった。早速丸裸にされ先に収容されていた血色の良い日本兵から衣服一式が渡され、脱いだ衣服はすぐ横で燃やされて蚤とも分かれた。途中道路の両側に並んだ段ボールの物資や、雑草退治に「血の1滴」と言われたガソリンをかけて焼くのを手伝わされ、国力と物資量の違いに、苦しんで何をやって来たのかという思いを持った。物語はこれで終わる、こんな経験をした人たちはもう思い出に苦しまないで良い所に行った、だが私たち戦中生まれの心には何かが残っている、それを書いておきたかったのだ。
著者はこの話を始め 、大陸移動、種の進化などから在来種と移入(侵入)種という区別は、時間軸に沿って考えると成り立たないことを証明している。自然環境保護と称して多額の税金を使い長い時間をかけ結局何も目立った効果が上がらなかった例が多い。一度消滅して再度自然に、または人口的に定着した複雑な過程を経たもの、侵入種の丈が高い場合、在来種が丈の高い方向に変化し進化圧により別の種になっていくものもある、結局自然は人間がいじくり回し改変した環境に対応して移動するか、または人間や物流と共に移動した場所で生きてゆくのだ、生物種は混じり合い相関して進化し、少し長い時間で見れば(生物の歴史で見ればほんの一舜だが)平衡状態に近くなる。これだけであれば生態学的に見た環境保護の批判的内容なのだが、作者はさらに「わたしたちの進化の歴史と関係し、人間が危険をどう察知するかという問題にかかわる、もっと根深い心理的な理由もあるように思える、わたしたちは抽象的で非人間的な脅威―中略―マラリアや気候変動や肥満には十分な関心を払わない。逆に、目に見える相手には敏感だから、テロリストや暴力犯、小児性愛者には過剰なほどの不安を感じるのだ。」「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化遺産保護活動に完全参加できるようにすることを目標に掲げる団体、ブラック・エンヴィロンメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。」と述べている。人類の発生期には複数の種があったこと、現在のアメリカ大統領の言動などを照らし合わせ考えるべき点が多い。
“ある知性が与えられた時点において、自然を動かしている全ての力と自然を構成している全ての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力を持っているとしたならば、この知性は同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動おも包摂せしめるであろう、この知性にとって不確かな物は何一つないであろうし、その目には未来も過去も同様に現存することであろう”「ラプラスの悪魔」といわれるこの究極の決定論は、世界がただ坂を転がり落ちる岩のように決められたところに向うだけだと述べ、デカルト的2元論の精神世界を否定した。アインシュタインが求めて得られなかったのは、この方程式である。
以後ボーアとハイセンベルグの不確定性原理(量子力学では位置と運動量は同時に確定できない)により量子の世界でこの考えが否定された。進化論も偶然が世界を造ったといい、ダーウインは“世界と人間は神に創造された”という宗教や芸術の世界を壊したという非難と戦った。リチャード・ドーキンスは最近の分子生物学にもとづいた「利己的な遺伝子」で個体は生存競争で淘汰された遺伝子による世界との競争手段であり、人間も同じだと述べ、一般の人の希望や努力をくじく考えだと非難された、しかし次の著「虹の解体」でガリレオが光学分析で虹のロマンチックな世界を壊したとして非難された例を挙げ、本当の科学の進歩、例えば現代の量子物理学による宇宙探索などは、これまで常に対立してきた芸術等にもっと大きな夢を与えてくれるだろうと言っている。もっと身近な対立の例として、マイクル・シャーマーは書名:なぜ人はニセ科学を信じるのか UFO、カルト、心霊、超能力のウソ" でカルト・心霊・占いなどの商業化を社会問題として、皮肉を込めてユーモラスに書いている。
アメリカでは最近まで進化論と神が人間を創ったという原理主義を対等に扱うべきだと言う裁判が行われ、宇宙開発でソヴィエトに先を越され、科学教育の遅れが問題となってやっと判決が出た、これをモンキー裁判と言いシャーマーも証言をした。これを担当したのが死刑廃止論で有名な弁護士クラレンス・ダーロウである。
さて彼のもう一つの有名な裁判は「レオポルドとローブ事件」だ、この事件はシカゴ大学生、ハーバード入学予定という二人の若者が、動機なく犯した不可解な殺人事件だ。ダーロウは法廷で前代未聞の議論を展開し彼らを死刑から救った、脳内物質のバランスが彼らを犯罪に至らせたというのである、旧くから行われてきた障害と脳の損傷部位の対比による脳の研究に加えて、最近は化学的な分析による脳内物質の働きや、スキャンによる脳の電気的に活性化した部位の解明などが進んで、外部情報―神経伝達―脳の指令経路が分かるようになりこのような議論が可能になったのだ。
例えばトゥレット症候群と言われる病気、パーキンソン病・ハンティントン舞踏病・コプロラリア(汚言症:友人を侮辱する言葉が衝動的に出る)などは、大脳基底核の損傷が原因とされるが、プロザックと言う薬でセロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンといった脳内物質をコントロールする事で改善できると言う。前に紹介したジョナサン・モレノ「マインドワーズ・操作される脳」では、この分野が軍事的用途の為に研究され、例えば3日間眠らずに戦える兵士を造るなどの意図で飛躍的に進んだ事が書かれている。自分は肩、腰の痛みを抱えて痛み止めを飲んでいる、以前は「消炎酵素剤」であったが、最近薬が変わり、飲み始めは徐々に量を増やし、やめる場合も徐々に減らさねばならないと言われた。はてどんな薬かと調べてみたら、やはりこの系統の薬であった。しかしいくら技術が進歩し脳のメカニズムが解明されても人間の生涯における多重な記憶とそれによる判断をコンピューターのアルゴリズム(判断の道筋のようなもの)にすることは出来ない、つまり決定論には出来ないというのが著者の指摘である。
1895:レントゲンX線発見、1904:キュリー夫妻ラジウム精製、1900:プランク量子論、1903:ラザフオード・ソディ核分裂、1905:アインシュタイン特殊相対性理論1911:ラザフォード・ボーア原子モデル、1922:ハイゼンベルク・ボルン行列式力学、1926:シュレーディンガー波動方程式、そして1930:ヒトラー政権を取る。
この本にヒトラーは登場しない。苦渋に満ちた時代に生きた3人の物理学者、マックス・プランク ピーター・デバイ ヴエルナー・ハイゼンベルクを中心に、その他同時代のいずれもノーベル賞を受賞した科学者たちの考え方、選択した生き方を、研究成果やナチスへの対応に関連付けて述べている。その中から現在核エネルギーの他に、発生している遺伝子工学、情報工学、環境工学など潜在的に社会を破壊する力を持つに至った科学に、開発者がどう向き合うべきかを論じているのだ。
時間を圧縮して過去をさかのぼって振り返ってみれば、原子構造の発見から広島・長崎の破壊までの道は驚くほど短い。なにせ一世代のあいだで起こってしまったのだ。その出発点に居合わせたマリー・キュリーが、もし彼女が研究中の被曝による貧血症という致命的な害によって11年前に亡くなっていなかったら、日本の二つの都市が廃墟になるのを目撃できたほど短い期間であった」
*「今日の他の独裁政権と同じように、ナチスは、その権力が野蛮な抑圧によってではなく、指導者を力ルト的な存在へ持ち上げることを含む、宣伝とポピュリズムによる支持の大きさによって得られることがわかっていた」
ナチスが何を行っているか見えてくる中で、ぎりぎりに脱出した者とその補助者、英雄的にレジスタンスとなり、又はスパイとして内部に留まった者の話には感動する。破壊的兵器の製造に至らなかったのは、独裁政権は抽象的なことが理解出来ず、目に見えない量子論を嫌い、ユダヤ系と言う事で多くの主要な科学者を国外に出してしまった事である。原子炉は臨界直前まで行っていたが、Vロケットの開発に手を取られ、戦局も見る間に敗戦に傾いたからだ。
アインシュタインはアメリカ出国の後、次のように述べている
*「政治的な問題、広ぃ意味で人間に関わる問題に対して、科学者は沈黙を守るべきというあなたの意見には同意できません。そのよぅな抑制は責任感の欠如を意味するのではないでしょうか私は自分が言ったことの一語たりとも後悔していませんし、私の行動は人類に役立ってきたと信じてぃます。」*「物語が私たちに教える教訓を学ばないまま、政治的また経済的なフラストレーションや幻滅を排して1つになろうと、又別の独裁制を待望する事になっては成らないのだ」
*「著名な物理学者たちのナチスとの関係は三者三様であった。いずれも当時の科学者の支持を得、戦後になってナチスとの協力を問題にされたときも皆無罪であると主張した。積極的にナチスを応援したわけではなく、科学の発展のみを考えていただけであって、自分たちはあくまで「非政治的」であったとしたのだ。このような科学者の態度こそがユダヤ人虐殺やおぞましい人体実験などを許容することになったとは考えなかったのである。この心情は現在の科学者にも共通しており、科学の軍事利用が進んでいく一つの大きな理由となっている。つまり、本書はナチス時代の科学者の典型的な言動を描きながら、それに追随した多くの科学者たちの存在を示唆し、それは現代にも共通していることを暗示している。本書が、科学と社会の関係はいかにあるべきかをじっくり考える手がかりとなることを願っている。」
自分も工学系の学校を出たが、常に、日本の科学・工学系の人間が社会の動きに関心を示さないのは全くおかしいことだ思っている。 *=本文 #=訳者解説
ブロードウェイ大通りNik Cohn 1995 The Heart of the World 訳 古草 秀子 渡会 和子 河出書房新社
著者は、40年前1977年、丁度私が大学を卒業し働き始めた頃、世の中にディスコがはやっていた時のアメリカ映画「サタデーナイト・フィーバー」の原作者である。イギリス人の父とロシア人の母の間に生まれ、アイルランド・ダブリンで育ち1975年アメリカに移住した。此の本は、ニューヨーク・マガジンに書いた記事が大当たりして、映画やミュージカルになった収入で、丁度ジョイスの小説ユリシーズで主人公がダブリンの町をさまようように、ブロードウエイをその発展の歴史をたどって南から北に、いろいろな人間が脚光を浴び、没落した身の上話を街の転変に重ねて描いたノンフィクションだ。その人間たちも、性倒錯者、証券マン、市議会議員、ボクサー、賭博狂い、元麻薬中毒、ショウガールなど、全て盛り場の移動と共に落ちぶれたものばかりだが、この本を読んでどこか爽やかさを感じるのは、作者の強烈なニヒリズムと、人間の弱さへのやさしい眼差しなのだ。
なぜこの本を読もうと思ったか。
理屈っぽい本が好きなので、たまに軽い内容の物を読もうと思い図書館で見付けたのがこの本だ、昨年6月旅行でニューヨークに寄り、5番街32丁目の安宿に泊まった。西に歩けばすぐにマディソンスクエアガーデンで地下がボストンへの列車が出るペンステーションだ、昔はサーカスの行われる公園だったのでこの名がある、今は大きなアリーナでロックイベントをやっていた。ブロードウウェイは南端のバッテリーパークから17丁目まで北上し、そこから碁盤目の街を唯一斜めにセントラルパークの南西角へ延びる。23丁目の鋭角の角が初期スカイスクレーパーの傑作、ダニエル・バーナム設計のフラットアイアンだ。この辺りに住む友人の芸術家岡本陸郎氏夫妻と、夕食はレストランでパエリアを、翌朝はすぐ前の公園でスズメにパンを上げながら朝食を共にして分かれボストンに向った、このような経緯で本のタイトルに目を引かれたのだ。ちなみに氏は作品を持帰り九州九重に個人美術館を開いている、興味のある方は下記ホームページを見てください。
http://www.rikurookamotomuseum.com/info.htm
2.何故この本について文を書こうと思ったか。
それは次の話がスキャンダルとして出てきたからだ。「マディソン・スクエアは「地上の楽しみの園」となった。そして、ブロードウェイは、その「金ぴか時代」に突入した。「金ぴか時代」は、はっきりしないが188O年代のどこかで始まり、終わりはもっと明確で、1906年6月25日の夜、ハリー・ソウがスタンフォード・ホワイトを撃ったときとされている。」
ホワイトはアメリカの1世を風靡した建築家で、私も設計事務所勤務の時代に、過去の様式を用いた建築を、H.H.リチャードソンやホワイトの作品で学んだので、この文にショックを受けた。ホワイトの死因は知らなかったが、撃ったのが億万長者で、アイドル女優をめぐるトラブルが原因というので、ブロードウェイでは最も知られた話らしい。 ホワイトは米国の建築史でどのような位置を占めるかを述べよう。国家的仕事を行った建築家はリチャードソン(Henry Hobson Richardson)1838~1886に始まる、ハーバード・パリのボザールを出て多くのロマネスク様式を用いた作品が残る、主作品にボストンのトリニティ教会がある。ホワイト(Stanford White)1853~1906は6年間リチャードソンの基で働き、ヨーロッパ遊学後Mckim.Mead & Whiteとして3人で建築事務所を創設し、ワシントンスクエア凱旋門、2代目のマディソンスクエアーガーデン、学校や住宅など多くの作品を残した。これ以後シカゴ万博計画に集結したチャールス・マッキム、ルイス・サリバン、ダニエル・バーナムなどの中でバーナム(Daniel Burnham)1846~1912はBurnham & Root事務所としてニューヨークのフラットアイアンやシカゴのルッカリーなど多くの高層ビルを設計しシカゴ派と呼ばれる。日本に旧帝国ホテルなどの作品を残したライト(Frank Lloyd Wrighit)1867~1959もサリバン、バーナムの基で働いた。
3.スタンフォード・ホワイト、イヴリン・ネスビット、ハリー・ソウの三角関係
「この時代は、アメリカが莫大な富と絶大な自信を持った時代であり、優美、けばけばしさ、そして単なる愚かさが混ざり合っていた時代だった。ホワイトはそのすべてを一身に備えていた。芸術家にして世馴れた都会人、紳士にして遊び人。建築家としては、古典主義と大げさな装飾をボザール風に自由に折衷し、公共建築の様式の輪郭を定め、大きな影響を与えた。ホワイトは火山なみに精力的だった。公的には、二代目のマディソン・スクエア・ガーデンによって、ホワイトの名声は頂点に達した。私的に彼が勝ち取った最大のものは、イヴリン・ネスビットだった。そして最後に、この公と私の関係は、もつれあって因縁話へと発展する。まず、ガーデンの話がもちあがった。バーナムが引退したあと新たな大施設を建てようということになり、マッキム・ミード・アンド・ホワイト建築事務所に声がかかった。そして4OO万ドル余りをかけて、まるまる一ブロックを占める「遊びの殿堂」ができあがった。アンフィシアターと呼ばれる大円形競技場は一万七干席、屋上にはひときわ高く、セビリャのヒラルダの塔を模した塔が聳えていた。
イヴリン・ネスビットは、1901年に登場した。ブロードウェイに来たばかりの16歳で、大当たりのショー「フロロドーラ」のコーラスガールをしていた。このうえなく魅力的な女性で、卵形の顔に、腰まで伸びた赤褐色の髪、ラファ工ロ前派の絵のような華奢な体つきは、時代にぴったりの美しさだった。やがて、スタンフォード・ホワイトの目にとまり、ホワイトは大衆の好奇の目が及ばない西24丁目のロフト・スタジオで、彼女にシャンペンをふるまった。スタジオの一隅に、緑の蔦をロープにからませた、赤いびろうど張りのぶらんこがあった。ホワイトはぶらんこに彼女をのせて、揺らしそのあと、鏡だらけの部屋で言葉巧みに誘惑した。スタンフォード・ホワイトの新しい愛人として奉られ、イヴリンは裸で赤いびろうどのぶらんこにのって、天まで届けとばかりに足を蹴りあげていた。
やがて成り行きで、彼女はハリー・K・ソウと結婚することになった。ソウは欠陥人間だったが、4千万ドルの遺産の相続者だった。 結婚はうまくいかなかった。スタンフォード,ホワイトへの恨みはくすぶり続けた。「俺の妻をひっかけて、ものにした、あのげすなでぶ野郎」そしてとうとう、ソウはマディソン・スクエア・ガーデンの屋上庭園に行き、ホワイトの眉間に三発、撃ちこんだ。」
4.この本で考えたこと。
古今、建築家はあまり派手な事がなく、事件に巻き込まれたのを聞かない。
フランク・ロイド・ライトが駆け落ちした夫人との住居兼アトリエとして建てたタリアセン・ウェストを、狂った使用人により放火で焼かれ、婦人と子供2人、弟子4人が惨殺された事件が有るが、本人がスキャンダルで殺されたのはスタンフォード・ホワイトくらいだ。私が師事した村野藤吾先生や、そのまた先生の渡辺節氏など、ずいぶん粋な遊びもしたようだが、あくまでその時代のオーナー・クライアントとの付き合いだ。ホワイトも村野先生も建築様式を使いこなすという点では同じで、私も勤務時代にホワイトの作品集を勉強した。だが彼はその能力を芸術に昇華させるだけでなく、欲望の為にも使った。
この事件が自分の1/3の年齢の女性を愛人とした結果だ。資料によれば、ソウの家系には精神異常者が多く、金の力で異常者として刑を逃れ、後に正常者と主張し施設を出ている。ネスビットは不道徳な女性だったという説がある、ソウの家から金を貰い、子育てをして普通に暮らしたという。
酒の話、付き合いで飲む時は何を飲むかあまり選べないが、自分で飲む時は値段以外自由に選べる。焼酎やウイスキーを飲み過ぎて精神バランスを崩した時が有るので、近頃は1日おきに飲むという変なことをしているが、世界の酒を色々知ってみたいなと思う。ロシアのバーで高いウオッカ飲み、酒屋で一番安いのを買って持ち帰った。中国では茅台酒が高いのでガイドにもどきを探してもらった。これはシュタール ウント アイゼン(鉄と鋼)と言うのだと聞いて、長くドイツに赴任していた義兄と飲んだシュタインヘーガー(ドイツ・ジン)とウオッカのカクテル。?日本酒では早く死んだ同僚と大手町の地下で飲んだ玉乃光、新橋の高架下で帰りがけに飲んだ〆張鶴、徳島の阿波踊りの後で鰹の叩きで飲んだ司牡丹や金陵、津軽の造り酒屋に泊めてもらい飲んだ関乃井。酒とは要するに一群の思い出であり、自分は酒飲みの友人が好きだったのだ。
参加するNPOの事務局から送られた、新建誌「建築とまちづくり」530号のコラムで、日頃私が考えていることが実践されている、年寄りが安心して住めることを目指した集合住宅の2例を要約してみる。「ノビシロハウス」は、上京時不親切な不動産業者に当たって、自分が不動産業を始め、年寄りの入居が困難なのに愕然とし、色々な職業の人に協力を得て、自分で始めた賃貸アパートだ。見かけは2階建て2棟だが、中にクリニック・訪問看護ステーション・カフエ・コインランドリーが入り、町の多様な機能を持っている。また若い人に格安で入居してもらい、声掛けやお茶会をしてもらう、つまり街の世代間コミュニケーションまで備えているのだ。結果家賃は少し高くても、介護付き老人ホームよりはるかに安く安心して暮らせるのだ。
もう一例鵠の森舎(くげのもりしゃ)は、かなり広い敷地に5~8戸の2階建て棟割長屋が5棟建っている。だが全く同じものが直列に並ぶので無く、凹凸や角度を持ち、前面にオープンデッキ、間に誰でも通り抜けられる路地とイベント広場が有る。さらにDIYで改造や菜園など一般的な禁則だらけの囲い込まれた団地とは異なる住み方を造っている。これを企画・設計した不動産及び設計者は、農家から土地を譲られるとき地域に根差した物を造ってほしいと言われて考えたそうだ、これは都市計画では知られた「ラドバーン方式」である。さらにここから自分には明確に理解できないが、物件を不動産小口化商品として、入居者や企画者の社員などが投資して、配当を貰うという仕組みを作っている。このほか「フランスの賃貸住宅事情」のコラムが有り、政府の都心に若い人を住まわせるための家賃補助、公営住宅の投機的な取得の抑止、郊外の団地における住民の偏在対策などの施策を紹介している。不動産業はセキュリティーで何重にも囲われた、刑務所の様な島を造り、街を壊してこれを「まちづくり」と宣伝するが、街とは多様な人たちの開かれたコミュニティーの場所なのだ。
ここまで約3500ページの内2500ページ近くを1年以上かけて読んで来た。バリバリ読めるときは少なく、あまり進まなかった、しかし飽きて興味を失うことも無かったのは、著者の英国人らしいシニカルだがスタンダードな物の見方に有るのではなかろうか。2世紀に暴帝、氾濫、蛮族の侵寇により大帝国の斜陽が始まる。その中でコンスタンティヌス帝は、初期キリスト教により30年余の統合を果たした。しかしフン族、ゴート族の侵入(いわゆる民族大移動)により世紀後半に西ローマ帝国は消滅する。戦争と疫病と飢饉が吹き荒れる時代に、地方の名も無き家系出身のユスティニアヌス帝は強烈な知力と精進により、キリスト教による信仰の統合、法典作成を行い、名将ベリサリウスを登用して、33年間東ローマ帝国ビザンティン帝国を治めたが、将軍に続き世を去る。さて一般的に歴史書はその時代の支配者(英雄)の物語を読むことなのだが、その下の軍人たちは統率者に見捨てられ、一方支配者は軍の中から次の支配者として名乗りを上げる者に裏切られ、結果は両者とも悲惨だ、さらに土地の争奪争いの中で、食料生産者として簒奪を受ける農民も同じだ。人類の歴史は圧倒的多数の被支配者の中に有り、史書に表われるのは誇張されたわずかな人間の愚行なのだ。その中でギボンは、現代の混乱する世界を照らし合わせて考えられるほどの、本質を衝く哲学を拾い上げている、この大著がどこの図書館にもある所以であろう。
この本は「アメリカ大都市の死と生」に集大成された、著者がヴォーグ、ニューヨーク・タイムズ・マガジン、アーキテクチュアル・レビユーなどに書いて来た都市論と、その後も探求した都市経済学のサブテキストである。高層オフイスビルについての対談で、中心部にステータスとして建てられた高層ビルは捨てられ、大企業は郊外の倉庫のような広いスペースに移動している、データ通信の発達で集中した場所でビジネスを行う必要はなくなった。しかし高層ビルは他用途への転換には向かず、都市中心部の荒廃と郊外の搾取によるインフラ整備予算への圧力の原因となる。都市を経済活動の面から見るにはケインズのようにマクロな統計を分析し、演繹的に一つの結論を出すやり方は具体的にどの都市にも当てはまらない。方向を決めずに都市内の局地的な商業の動きなどミクロなものを積み上げて、遠い結果を見ず短いスパンで考えねばならない。それ故立地条件、歴史、住人の人種を含めたメンタリティーなど極端に多い変数を持った都市に対して国、州など上位の自治体が方針を決めて予算を配分するやりかたでは、大規模な都市改造計画やスラム解消団地などがうまく行かないと述べている、これは中央集権から都市国家指向への変更であり、アンチ・グローバリゼーションである。
さて晩年の世界銀行との対談で次のように言っている。
最も重要な考え方は、農業時代の凶作の経験から直接生まれました。これは供給、需要、価格の間には、なんらかの関連があるという考え方です。豊富にあるものは稀少なものと違って価格が安く、使い捨てにしてもまったくといっていいほど、残念に思うことはありません。森林は豊富にあると見られていました。不愉快なことですが同様に、土壌、水、新鮮な空気も豊富にあるため、安価で自由に使えました。今でもこのように考える人はたくさんいます。ありあまるほどいる人間の命は、安価で自由に使えると解釈されるかもしれません。そうであったら、普通の愛国心の強い市民が異常な殺裁を受け入れ称賛するようにさえなったでしょう。異常な殺裁とは、暫壕戦、マスタードガス攻撃、意図的な飢僅、ドイツの電撃戦、カミカゼやナパーム攻撃、ジェノサイド、民族浄化、ジハード、自爆テロ、地雷、さらには、説得力はあるものの狂気の超愛国主義者の狂気のビジョンにとって、その存在が不都合になった人たちを無差別に死に追いやったことなどです。
著者は世界の現状を地獄絵として見せてくれているように思える。
死と生というより死と生きざまと訳した方が良いかもしれない、アメリカの都市計画についての500ページの本だが難しくなく、街のおばさんの世間話のように痛快だ。都市というと一体何を指すか、範囲も曖昧な場所に建物と人間とその生活がぎっしり詰め込まれ、空間は道路、公園、看板、部屋などに細分された入れ子構造になっており、論じるときは結局エベネザー・ハワードの田園都市やル・コルビジェの輝く都市のように概念化するか、又は現代の複雑な情報化社会を目を閉じて撫でた象のように表現する他無い。しかし著者は違う、ニューヨークでスラムから再生を目指すグリニッジビレッジに住んで、ブルドーザー式の再開発反対運動の中で、自分が見て感じた事をそのまま都市論にしているのが彼女の強みなのだ。行政や設計者の頭の中に固めた過去の考え方を全てゴミ箱に投げ込み、再開発の帝王たる官僚をこき下ろして、都市はソフト・ハードの多様性によって人や仕事を惹きつけるのだという、ザ・ビレッジは彼女の何回もの逮捕による奮闘でスラム再生計画の大規模建て替えや高速道路による分断を拒否して生き返った。この本の執筆が始まったのは1958年で出版が61年だ、この時期各所で進められた再開発の重要な出来事として知られるシンシナティのプルーイット・アイゴーは1956年に大規模なスラム再開発団地として、建築家ミノル・ヤマサキ設計により完成したが、再スラム化してわずか16年で爆破除去された。都市を健全で活気あるものに育てるには道具立て(建築)と人間の多様性を壊さないようにせねばならないという言葉の通りに複雑な都市が変化したのは、偶然その時期に要因が揃ったからか、いや少なくも演繹的なものは星の数ほどある人間の心を満たせないというのが正しいのだろう。日本で建築審査会や公聴会に出てみて、実際街を見ていない同意先や手続きの多さ、出来る物の単純さに驚く。ジェントリフィケーションという言葉がある、ある場所が同じような階層の人間ばかりになるとそれ以下の階層への追い出し効果が出てくることだ、このままセキュリティーで閉ざされた孤島のような大規模アパートが並べば都市と呼ばれる物では無くなる、ジェイコブスに何故話を聞かなかったと言われるだろう。
佐藤先生は長年都市計画の具体的手法を研究され現在も早稲田大学に研究室を持っておられる。10年ほど前所属するNPOの講演会で考え方を伺い、その頃浅草橋駅のバリアフリー化の問題などに役立てられた。最近又北区の方で都市計画スケールの仕事を頼まれて、俄仕込みで先生の本を読み始めた。いつも例に上げて比べられるのは、フランス革命後のナポレオン3世時代、オースマンによるパリ改造と産業革命後の環境悪化に対するハワード、アンウィン等の田園都市構想であり、どちらも現代に生きて住みやすい都市の役に立っているが東京はどうなのか、まず集合住宅の歴史を調べこれを手掛りに有るべき方向を見付けようとするのである。はじめの大きな計画は関東大震災後に同潤会が国の補助により実施した仮設住宅と、その解消のため当時郊外であった赤羽、十条、京島などに造られた長屋、重ね建て(玄関は1階で居室は1,2階別世帯の4戸)など含む木造団地であり、住戸の背面に共用中庭・井戸、主要道中心部に授産施設、商店などが配置され都市機能を備えていた。この頃ロンドンに習い東京の周囲にグリーンベルトが想定された。次は村山、板橋、赤羽など軍需工場に隣接した全体主義による軍事体制下の画一な職工用大規模平屋木造団地である。これらは都市施設は無かったが、空襲の延焼を考慮して敷地に余裕があり意図せず敗戦後スラム化を逃れた。戦後は復員や地方からの流入で急速に人工が増え焼け跡のバラック解消のため、住宅公団が都市環境の為グリーンベルトと想定された周辺地に中、低層の鉄筋コンクリート団地を供給するが、皮肉にもこれらは環境も良く住民の結束で管理が行き届いている。用地が不足すると見渡す限りの畑の中に、何千戸というスケールの団地が出現するが、商業施設を持ち外の世界と繋がりがなく、同じ世代で収入も同じレベルの人口構成は年齢層の輪切りと呼ばれ、現代において建物の老朽化、住人の老齢と貧困化により、建て替えと低所得者の追い出しの問題が急迫している。いま都市計画で考えるべきことは、団地を如何に周辺の民間開発住宅とシームレスにコミュニティでつなぐか、中心部の木造密集地域で策定された、立ち退きによる自動車用の大きな計画道路が古いコミュニティを壊すのを防ぐかである。佐藤先生や他の研究者はいずれもその場所のアイデンティティーを活かし、計画を見直してトップダウンでなく住民とコオーディネーターの参加により進めるのが良いと考えている。
筆者は数理物理学者で宇宙論を中心に研究しているが、この本の内容は非常に広く、進化生物学、論理哲学、さらに芸術、宗教にまで広がっている。原子を構成する素粒子は何とか痕跡を見ることが出来る、しかしその先はもう見ることが出来ず、数学に置き換えて進むほか無い。各素粒子の性質を説明する構成要素として6種類のクオークが、さらにその要素としてスーパーストリングが考えられた。
宇宙(時間、物質、場所)は1箇所で始まり膨張し続けているという、しかし10の-35乗秒(ゼロが35ついた分母)以前の状態、我々の居る宇宙と同時に出来たと言う別の宇宙や反物質、これらは数学に置き換えて探る他無く、スケールの極大、極小の先に限界があるのか、人間の脳の限界とどちらが先に終わるのかは知り様が無い。ハイゼンベルクは不確定性原理において物理現象は1本道でないのを示した。そのわずかな揺れが初期の状態から人間を含め多様な世界を造ったという。(神は)全てを知っているというのは宗教であり、ラプラスの決定論は成り立たず、分かりえない物事が有るのが本当の科学だという。この本は400ページ有り後半は極端に難しいが、第4章 人間であることの中に「現代美術と文化の死」の項が有る。ヒッピー時代の科学社会学者ガンサー・ステントは「現状を芸術家に課せられた制作上の制約を解除する進化論的過程の結果だ」と解釈しようとした。新しい素材や媒体が現れて創造性を発揮する方法が広がってきた、同時に何がいかに描かれるか(描かれないか)は着実に後退してきた。そこから出て来る構造は、形式的なパターンが無くなり、ランダムに近づいて、他の人の作品と区別するのが難しくなった。音楽、建築、詩、絵画・彫刻など似たような流れをたどる。その様式の漸近線は、純然たる主観的反応しか求めない、最後の無構造状態に近づいて居るのではないかとステントは言う。筆者は、この芸術の悲観的な構図は、個々のレベルで制約された創造的表現を探って成果が上がってもだんだん見返りが少なくなる例である。そのくびきから逃れるためには、個々の創造性が表に出てこなければならない。我々の技術的社会的発達は、正反対のことをしている、人々の共同が大きくなり連絡が簡単になることを進歩の尺度と見ているという。
人間の脳は1キロちょっとだが宇宙から物質の成り立ちの幅のスケールの中で、最も分からず、最も広い世界を持っているらしい。芸術の行き着くところは不可知だが、断片化を避けて広く現在の科学の状況を概観し、その上でまだ見えていないものを見なければ先へは行けないと思う。
この本はテーマが2つに分かれており、前半は歴史や文化人類学的見地からユダヤ教、キリスト教、イスラム教の古い大宗教の変遷と相関関係を分析しながら、その教えについて現代の自分の宗教を持たない、言い換えれば科学的観点を持った人間が見ると、倫理的とは言えない我がままや残虐な内容が、またある時は同じ宗教の複数の教義でいかに相反する内容が含まれているかを述べている。そしてそれは書物を持たない時代に伝言ゲームの中で変貌し、時間の隔たったのちの時代に別々に書き記された為に神話化され、キリストの復活、ノアの箱舟、処女懐胎などこじつけて解釈せねばならないものとなり、どれも生き方の指標を示すには不適当であることを明快に示している。
さて後半では筆者もそうであるが、幼いころから刷り込まれた宗教観や慣習、それは白紙の脳にとって悪に走らない為にある意味保身に必要かもしれないが、自分で物事を考え判断するようになった時、成長して神のいない世界へ脱却せねばならないという。ではこの複雑で多岐な生物界は誰かがデザインしたのではないのか、物事の始まりは何時でどの様だったのか、まだ分からない事はあるが神に頼ることは無い、化学はすでにスーパーコンピューターをさらに集積して宇宙の形態をビッグバンの直近までシミュレーションすることを可能にし、生物の発生や遺伝の仕組み、各部分の働きを分子生物学で解明している、物事は科学のみが説明する、如何に生きれば良いかは科学を理解する人間しか分からないと言う。
図書館で面白そうな本が見付からず、どんな本でも字が書いてあれば何か意味が有るだろうと、一番怪しげで下らなそうなタイトルのを借りて、仕事の頭休めにばらばらの部分を虫食いで読んでいた。これは事件を事実や分析した内容では無く、ただ誰かの脳に腐った沼のメタンガスのように浮かび、巷に広がった噂話を並べたものだ。JFK暗殺、プレスリーやマリリン・モンローの死、何回か有ったカルト集団100数十人の集団自殺、チャレンジャー号爆発、3.11航空機突入テロ、事件が大きいほど、状況が異常なほど、死者が有名なほど、いくら新聞で多くの事実や証言を並べられても何か釈然としない、死者は物を言わず結局確信を持てる事実は誰にも分からず、裏に組織が有った、あるいは陰謀が行われたという感覚を、もちろん自分を含めて皆が持つ、一方これが陰謀ならこれ以上詮索させないで何とか忘れさせようとする力が働いているようにも見える。ちょうど読んでいる時に、カリフォルニア・シリコンバレーで会社をやっている友人が、日本に帰っていて、一人で墓参り中に倒れ発見が遅れ亡くなったと知らせが入った、ついこの間オンラインでテレビ電話をしたばかりなので、トランプに批判的だったし果たして言われた通りの死因だったかとふと考えた。人間のこういう傾向が噂を伝言ゲームの要領で迷信や神話に変化させたのだろう。
朝起きてから会社に着くまでに次から次へと、一般的には不運と思われることが起きる。足を家具にひっかけ、冷蔵庫の中の腐敗した飲み物を飲んでしまい、物を排水溝に落とし、自動車に入れる燃料を間違え、靴底がはがれ、どしゃ降りのにわか雨に濡れ、カバンを無くすなど、人はこれを「ついてない」という。しかしこれら一つずつは神や悪魔の仕業で無く、知り得ないところで起因し、複雑に絡み合った事象の連鎖であると、物理学・生物化学・果ては天文学まで持ち出して、必ず原因と被害を避ける又は抑える対処法が有り、つまりギャンブラーがよく頼りにする「つき」や「ゲン担ぎ」は意味がない、この世界を説明できるのは科学だけだと言っている。アメリカでこのような迷信や占い、神秘主義、宗教原理など、非科学的なことがはびこり、未だ進化論を否定する政治まで行われる、これが科学者がこういう本を書く必要が有ると思う動機なのだろう。
私は日本人の書いた本はほとんど読まない、著者は日本人だがドイツ在住で、都市交通計画のコンサルタントをしている。ドイツ南西部フライブルクを例にどの様な経過をたどってモータリゼーションや人口減少による国の破綻を防いで、先の道を探ってきたか、逆になぜ日本はコンパクトシティと地方の過疎化対策に失敗し、国の経済破綻を招いたかを論じている。私の住んでいる市も国の方針とやらで闇雲公共施設統合、縮小を進め箱物の造り替えと、中心部に大規模な駐車場、商業施設の整備などに金を掛けようとしている。 著者は、人口減少と高齢化の中で、地方の小都市で高速の道路で、より大きな行政、商業サービスのある都市と結ばれるのを望んでいるのは奇妙だという。大きなインフラ建設業者や、マイカー関連企業は地元に利益を落とさず全て吸い上げてしまう。高齢の運転者に免許返納を呼び掛けているように、徐々にマイカーは減って金のかかった道路は無駄となり、買い物、行政サービス難民が増えるのが見えているのにと。また大都市側も中心部の高価な土地資源を失い、高くついた道路は車の増加で交通渋滞が起きて使い物にならなくなる。これを信号システムや自動運転などハイテクでカバーしようとしても、又大企業が利益を得るだけで地方経済に還元は無い。興味深いのは交通を高速化しても、市民の外出時間短縮、回数減にはならず、その分周りに何もない郊外の大規模店に行くという統計が出ていることだ。
ドイツは1970年ごろマイカー社会を、低速の市電に方針転換した、これも結構高くつくが地元の電力会社などの企業が補填して、経済の小さなサイクルを回すようにしてきた。 さてこの先はどうするのか、グローバルな温暖化対応、サスティナビリティ―の観点から行き着いたのは究極の低速交通、自転車と徒歩である。驚くべきことに全く信号や標識、道路の線引きの無い街、これを道路を自動車、自転車、子供の遊び場などに使う意味でシェアードスペースと言うが、幹線道路が交差する所に試験的に造り、ヨーロッパの他の都市でも追従が始まっているという。必ず行き詰まり・提案・反対・試行・修正を経て、粘り強く進んで来たのだ。
迷信や占い、たまに起きる偶然などを利用し、科学の様な顔をした悪意ある詐欺と、そういうものが好きで信じたがり、財布を軽くする科学に無知な人間、もちろんこれには政治家や軍人、そして科学者の一部も含まれているのだが、この様な色々な例がまだ挙げられている、アメリカでは病気を治す記憶を持たせたという水が、無害だと許されて高い値で売られている、何しろただの水なのだから。物理学会では一時大騒ぎとなった常温核融合に関する情報交換会が、不可能と証明されてもなお未だに行われているなど。だが一番筆者自身が言いたいのは宇宙ステーション計画だ、冷戦時代に宇宙開発競争が始まり、有人宇宙船や宇宙ステーションが科学や軍事上のアドバンテージをもたらすという宣伝で、莫大な費用や、人命を費やして行って来た代償にいったい何が得られたか、結局高価な人体実験をしただけなのだから、早く有人宇宙船などやめなさいと言うのだ。確かに目的不明のまま国のメンツだけの為に行われているように見える、ハヤブサ計画のほうがよほど科学研究に役立つだろう、ニセ科学を見分けてクールな頭で回りの世界を見る事が必要なのだ。
同じようなテーマの本に「なぜ人はニセ科学を信じるのか・UFO・カルト・心霊・超能力のウソ」マイクル シャ―マー が有る、こちらは進化論の教育に関する裁判や、ニセ科学を面白おかしく取り上げたマスコミをやっつけようと奮闘する筆者を、ドタバタ調で描いて真面目で楽しい読み物になっている。終わり
筆者はスティーブン J グールドに近い考えの古生物学者である。荒野で化石を掘っているのが仕事と思われるがそうではない、各地・各時代の化石記録をデータベース化して、生物種が発生から絶滅までの種及び個体レベル数を統計解析しているのだ。近年誰の目にも明らかになってきた気候や生物種の変動に対して、確証が無いとして行動をしてこなかった人類に対し具体的なものを示そうと意図しての事だ。明らかになったのは、分布は地球規模の事変が無ければ釣り鐘型を示し、頂点に達し減り始めると勾配は急に下がっていくのだ。現在の地球生物種は急速に減少しているのは明らかだ、以下は著者の一番言いたいところであろう。
「絶滅とヒトとの関係 19世紀初頭、世界の人口は9億人前後であったが、世紀末にはそれが2倍になった。そして現在、前世紀末から100年しか経っていないにもかかわず、人口は70億人になんなんとしている。20世紀前に始まった産業革命が予想以上の規模で進行したために、環境は悪化し、都市が急膨張して、化石燃料の無節操な浪費が行われるようになった。人問の活動はヨーロッパと北アメリカ双方で無思慮、無計画に行われ、それが結果的に新たな帝国の誕生に繋がった。人類の利己的で身勝手な振る舞いは今もなおつのるばかりだ。第二次世界大戦が終結して以後の50年で達成した先進国の経済成長のせいで、環境の変動率はいちじるしく増大したのである。私は先史時代を生きた現生人類たちが獲得していった能力として、直立2足歩行、発達した親指、言語、未来を予測し計画を立てることのできる能力、そして白己中心的な性向などをあげた。このような現生人類が存在したからこそ、ヨーロッパではネアンデルタール人が、北アメリカでは膨大な数の大型哺乳類がともに絶滅させられたのではなかったか? しかし、私はここで、人類のかくもうさんくさい能力にもう一つつけくわえねばならない。それは環境を変える能力である。過去200年、私たちはその能力をいかんなく発揮してきた。環境は大幅に悪化し、回復不能な状態に陥っている。地球という複雑な系への強制的で連続的な変更行為は、それを強いられた場所が1部に限られるとはいえ、その影響は連鎖的に拡大して地球全体に及び、緩慢なる絶滅への道をたどっていることなのだろう。
自然界が一つの法則で出来ているならなぜ均一なスープの様な物に成らないのだろう分子の形は右勝手と左勝手が有り、鏡像関係の物質は結構有るがその働きは同じではない。動物を形成するDNAやアミノ酸は皆同じ右回り螺旋であり、それどころか分子レベルよりもっと深い原子、素粒子、さらにクオークのレベルまで対称性が破れているという。葡萄酒の底にたまる酒石酸と対称な形のラセミ酸は融点や偏光軸の回転方向が違う、オレンジとレモンの香りは鏡像対象の分子による、サリドマイドは鏡像分子が混じっていた為に悲劇を起こしてしまった、ところがオーストラリアで見付かったマーチソン隕石には膨大な有機分子が含まれていて、アミノ酸は地球上の物と逆巻きの螺旋であった。この本のここら辺までは自分の知識でなるほどという感じで読めるが、この先は科学者はそう言う事を考えているのかくらいしか理解できない。素粒子にプラスの電荷の陽電子や電荷の無いニュートリノが有り、更にその構成要素のクオークが全てスピン(自転)を持っているので、宇宙の始まりの10-14秒という高エネルギー時には物質と反物質が、時間と反時間が同時に生まれて何かわずかの偏りによって今の物質だけが残ったのであろうという。見えないものを理解し記述しようとする科学者、はてこの本は何を言わんとしているのか?
ルイ・パスツールは以後に様々な科学者が気付き、考えを進めてきた内容を知らずにこんな言葉を残した「私たちが目にする生命は宇宙の非対称性の結果である」人間は星屑が偏って集まった物だ、これが著者の言いたい事かも知れなiい
コロナ禍の4・5月NPOで参画している、福島原発事故の損害賠償裁判が無期延期になり、図書館は空いていないので読む本が無くなり困った。言う方はStay home だがこちらはLive in homeなのだ、コギトエルゴスム生きるとは考えること、考えるには本が要る。掃除しながら見渡したら読みかけの本が有った。仙田先生(以下 先生)は大学の2学年先輩でデザイン研究会、私は美術部の共にキャプテンで予算を取り合った。また私が師事した村野藤吾先生の没後、事務所が解散して仕事もあまり無かった時に、手伝えと言われて日吉駅前の慶応大学会館ビルや広島マツダ球場など数年お世話になったので師匠でも有る訳だ。用事で伺った時サインを入れて頂いた本で記念品のように置いてあった。幼稚園・保育園・学校施設など多数設計された先生の建築における考え方はある程度理解したつもりだ。しかしこの本で知ったのは、先生が随分積極的に政界や学会に働きかけ、その中で働いて来たという事だ。私は30年以上芸術としての建築を学び、NPOに参加して今度は欠陥建売住宅、マンション建設反対の近隣闘争、原発事故損害賠償裁判など華やかな設計の世界とはかけ離れた建築の裏の闇を見てきた。先生と呼ばれる世の建築家が大きな発言力や多くの機会を持ちながら何も考えを示してこなかったと、非難して来たが単純なステレオタイプ化は出来ないと気付いたのだ
自然界が一つの法則で出来ているならなぜ均一なスープの様な物に成らないのだろう分子の形は右勝手と左勝手が有り、鏡像関係の物質は結構有るがその働きは同じではない。動物を形成するDNAやアミノ酸は皆同じ右回り螺旋であり、それどころか分子レベルよりもっと深い原子、素粒子、さらにクオークのレベルまで対称性が破れているという。葡萄酒の底にたまる酒石酸と対称な形のラセミ酸は融点や偏光軸の回転方向が違う、オレンジとレモンの香りは鏡像対象の分子による、サリドマイドは鏡像分子が混じっていた為に悲劇を起こしてしまった、ところがオーストラリアで見付かったマーチソン隕石には膨大な有機分子が含まれていて、アミノ酸は地球上の物と逆巻きの螺旋であった。この本のここら辺までは自分の知識でなるほどという感じで読めるが、この先は科学者はそう言う事を考えているのかくらいしか理解できない。素粒子にプラスの電荷の陽電子や電荷の無いニュートリノが有り、更にその構成要素のクオークが全てスピン(自転)を持っているので、宇宙の始まりの10-14秒という高エネルギー時には物質と反物質が、時間と反時間が同時に生まれて何かわずかの偏りによって今の物質だけが残ったのであろうという。見えないものを理解し記述しようとする科学者、はてこの本は何を言わんとしているのか?ルイ・パスツールは以後に様々な科学者が気付き、考えを進めてきた内容を知らずにこんな言葉を残した「私たちが目にする生命は宇宙の非対称性の結果である」人間は星屑が偏って集まった物だ、これが著者の言いたい事かも知れない
自分が40歳頃だろうか、子供がパソコンでゲームをやるのがはやり始めて買ってあげた。図形を描くプログラムの本にはサイクロイド(円をずらしながら描く)やフラクタルの(相似形を比例を変えてつなげていく)例が出ていて出力して遊んでいた。フラクタル図形は自然の形の生成を探求する為に数学の中で考えられたという内容の、これと同じようなタイトルの本を読んだ覚えがあり、あの頃より科学はずいぶん進んだろうと思って図書館で借りて見た。著者は英国ウオーリック大学の数学教授である、始めのほうは対称性を手掛かりに自然界を説明するために数学がユークリッド幾何学の外に出て研究されてきたという事で、なるほどという感じで読んでいたが徐々に「カオス理論」「カタストロフィー理論」が出てきて、物質は物理法則によって関係を保ち運動しているのになぜ不規則で混乱したものが生まれるのか、話は拡張して徐々にほとんどりかいふのうになった。ビッグバンから宇宙の成り立ち、生物の形の発生学的な説明、熱力学の第2法則、物質は混ざり合って均質で動きのない、死の状態へ不可逆に進むというのは小さい範囲でしか成り立たないこと、アインシュタインの目指した重力と電磁力の統一理論はいまだ出来ていない、ラプラスの悪魔といわれる決定論は成り立たない、状態は急に壊れる、素粒子の先の紐理論と対称性の破れなど、そして地球や太陽系の行く先の話など。数学、天文学など、生化学は先の世界の為に研究を進めていることが分かった。
牧場主がニュ-メキシコ州の砂漠で合成ゴム片、金属フオイル、棒状の物などを拾った。空飛ぶ円盤の話を聞いて、保安官に破片を見付けたと言うと彼は軍の飛行場に話を持って行った。飛行場はこれを発表した、すぐに「レーダーの標的であった」と訂正したが逆に円盤墜落の隠蔽工作と受け取られ、噂は広まってロズウェルの町は観光地となった。UFO本やエイリアンのTシャツが飛ぶように売れ、人気キャスターがABC.CBS.フオックステレビなどで娯楽番組に仕立て、とうとうエイリアンの解剖フイルムまで現れた、当然すぐにインチキがばれたが。当時未だ冷戦時代で、実行寸前だと思われたソ連の核爆弾を感知しようと、軍は気象観測を装って極秘にスパイ気球を打ち上げた。これを機密扱いにして2重の作り話をでっち上げたのが、後の軍の文書公開で明らかになった。しかしUFOフアンはますます政府は信用出来ないとして、ロズウエルの街に集まり、エイリアン人形やTシャツ、本などを買いあさった、これが真相だという。この著者は米軍やワシントンの科学顧問として働いていたので、特に政治家や軍の人間が科学に無知なのにつけ込んだニセ科学の詐欺と、それを利用しようとした政治家の例を詳しく書いている。実は何の関係も無いと証明されたが、今でも話に出るマイクロ波の健康被害で、送電線とガンの発生率が関係が有るとして、おびえた電力会社を食い物にした弁護士や調査会社。1984年レーガンが宇宙から発射するレーザー兵器という怪しい情報に飛付いて、スターウォーズ計画を発表し、その4年後までに政治家や軍人をだまして300億ドルの税金をせしめた、ジャンク科学の発案者とグルの軍需産業、これは1回だけ実験が行われたが何も起こらず金だけが消えた。1976年あるベルギー人がフランス政府に空から鉱床を見付ける装置を持ち込んだ。当時の保守党大統領ジスカル・ディスタンはフランスが優位に立つ可能性があるとして、秘密を徹底するよう命じ、3年間で2億ドルを注込んだが最初の1回だけ石油鉱床がみつかり、以後何も起こらなかった、誰も見ていないこの箱の中身を調べたらただのビデオ装置だった、これで大統領は社会党のミッテランに代わった。日本でもこの手の話はいくつもあり、最近では画期的スーパーコンピューターの話に自民党の麻生財務相が乗って国民の金を注込んだが、開発研究の実態は何もなく、責任も取っていない。このような話はもちろん初めから意図的な詐欺のこともあるが、科学の理解不足な者がこんな事が出来るだろうと考えて発表し、やがて不可能に気付き、この時点ですでに金を集めているので、嘘をつき通す他なく詐欺になるケースも多い。迷信や占い、たまに起きる偶然などを利用し、科学の様な顔をした悪意ある詐欺と、そういうものが好きで信じたがり、財布を軽くする科学に無知な人間、もちろんこれには政治家や軍人、そして科学者の一部も含まれているのだが、この様な色々な例がまだ挙げられている、アメリカでは病気を治す記憶を持たせたという水が、無害だと許されて高い値で売られている、何しろただの水なのだから。物理学会では一時大騒ぎとなった常温核融合に関する情報交換会が、不可能と証明されてもなお未だに行われているなど。だが一番筆者自身が言いたいのは宇宙ステーション計画だ、冷戦時代に宇宙開発競争が始まり、有人宇宙船や宇宙ステーションが科学や軍事上のアドバンテージをもたらすという宣伝で、莫大な費用や、人命を費やして行って来た代償にいったい何が得られたか、結局高価な人体実験をしただけなのだから、早く有人宇宙船などやめなさいと言うのだ。確かに目的不明のまま国のメンツだけの為に行われているように見える。
ハヤブサ計画のほうがよほど科学研究に役立つだろう、ニセ科学を見分けてクールな頭で回りの世界を見る事が必要なのだ。同じようなテーマの本に「なぜ人はニセ科学を信じるのか・UFO・カルト・心霊・超能力のウソ」マイクル シャ―マー が有る、こちらは進化論の教育に関する裁判や、ニセ科学を面白おかしく取り上げたマスコミをやっつけようと奮闘する筆者を、ドタバタ調で描いて真面目で楽しい読み物になっている。終わり
この話は1996年に亡くなった、妻の父の遺品の中にあった、義父(以後:Tと記す)の短い文章を含む飛行第45戦隊戦友会発行の「雲翔南に北に」と言う文集及び、その他のコピーと地図、生前にTより聞いた話を資料として、その他の関係する出版物も参照してまとめた。
飛行第45戦隊(以後:飛45と言う)はノモンハン事件よりハイラル、天津、南京、広東と転戦し、昭和17年末に戦況不利なラバウルに向う事と成った。Tは15年1月に安慶から単身呼び戻され福生の飛行学校に入り、卒業後鉾田の飛行学校勤務となった、おそらく体格が小柄だったので直接前線に行かなかったのだろう。自分の家は入間市に在り、すぐ横が自衛隊の飛行場(旧米軍ジョンソン基地)である、ここは所沢航空学校から別れて陸軍航空士官学校と成ったところで、Tもなじみが有り、秋の航空祭に来て、昔を思い出すように滑走路を眺めていたのが印象的だった。八高線で飯能のカフエに遊びに行き、他の兵隊たちと階級の事で口論になり、お互いに軍刀を抜いた、というのがこの頃の話である。さて17年8月に戦線の最南端、ソロモン諸島のガダルカナル島に連合軍が攻撃をかけ、18年2月の同島撤退に向かって戦局が悪化し、17年12月に飛45は当時の使用機九九式双発軽爆撃機を空母龍鳳、沖鷹に積んでラバウルに向うのだが、Tはこのとき未だ飛45に編入されていなかった。第2話ではTが飛45に編入された経緯から書くことにしよう。
龍鳳は潜水母艦を、沖鷹は民間船を改造した小型空母であり、この時期ミッドウェイ海戦の敗北により船舶は不足していた。沖鷹は故障で1日遅れ、龍鳳は護衛の駆逐艦1隻と、九九双軽22機、航空隊員133名を積んで横須賀を出港した。八丈島東160カイリに達したとき、龍鳳は米国潜水艦の潜望鏡に捕えられた、機雷敷設の為ハワイを出港し日本に接近していたサンフィッシュ、トリガーと3隻の内ドラムである、魚雷が4本発射され1本が命中した、死者100余名の内飛45隊員42名、ほとんどの機体が損傷し、船体は大きく傾いて横須賀に引き返した。ドラム艦首の残り2本の発射管には機雷が入っていて発射できなかったという、おそらくもう1本命中すれば撃沈であったろう。隊員たちは守秘の為横須賀に缶詰めにされ、機体と人員の補充が開始される。面目を失った海軍は大型で高速の空母、第三艦隊旗艦瑞鶴を任務に充てることになった。Tの記述は瑞鶴乗船から始まっているので、この時の補充要員として飛45に配属されたのである、船中で豪華な食事を出されたが船酔いで食べられなかったと書いている。5隻の駆逐艦の護衛で12月31日瑞鶴は横須賀を出港し、18年1月4日トラック島に入港した、他の艦が1週間かかった距離を5日で走破した。飛45は1月22日海軍1式陸上攻撃機の誘導でラバウルに到着し、ここでガダルカナル攻防戦、ニューギニア航空戦を戦うのである。第2話は「旗艦瑞鶴へ、飛行第45戦隊急送せよ」平成2年、神野正美氏のコピーを参照した、第3話はいよいよ義父より聞いた戦闘の話だ。
昭和17年8月に日本軍の到達した最南端、南緯9°40’ ソロモン諸島ガダルカナル島の連合軍による奪回戦が始まり、日本軍は18年2月に撤退した。私は丁度この頃8人兄弟の末っ子として生まれた、もちろん戦争の記憶は無く、敗戦後の苦しい生活と、周囲に残る戦争の暗い影を見てきただけだ。これから米軍の圧倒的物量と、レーダー、近接信管(注*赤外線を感知し高射砲弾を爆発させる)技術により、日本機の撃墜が増え搭乗員も激減する、ニューギニア南岸に築かれたフィンシュハーフエンなどの基地勢力に対抗出来ず、5月にはラバウルからニューギニア中部北岸ブーツ、さらにセレベス島メナドへと敗退する。日中の襲撃が激しくなり「輸送船で到着した若い人たちが、目の前でやられていくのが一番つらかった」という。義父Tはこの間12月25日、機種を二式複座戦闘機(双発、攻撃機に改装)に改変のため、ブーツから国内に戻り、鉾田と大阪の八尾の工場を往復していた、このころ「阿倍野の旅館に泊まって、近くの飛田遊郭に行った」と、単身赴任で私が努めていた阿倍野の建築事務所へ家内と子供を連れて来てくれた時話していた、ここからは本人の記述による、19年2月戦線復帰、22日にメナドから出撃し、双発双胴のロッキードP-38ライトニング戦闘機と会戦して撃墜され、負傷してニューギニア中部北岸ワクデ島付近の海に着水した。第4話は生還、そしてジャングルでの自活の話だ。
撃墜され海に不時着し投げ出された、上半身血だらけだった、同乗の本部の人は死んだが、若い大柄な副操縦士は無傷で、自分につかまってくれと言って陸まで泳いだ、この時の傷は残っていて、後日役所で傷病年金の事でもめた時、服を脱いで見せてやろうかと言ったそうだ。日本軍の占領といっても、海岸沿いに点々と拠点があるだけで内陸には踏み込めない。他の人は現地人に助けてもらい友軍の所まで何日も歩いて帰還したというから、Tもこんなだったのだろう。他の本によると、米軍が組織した民兵ゲリラにつかまり捕虜になったとか、現地人の助けで同じ場所に墜落した米軍パイロットとしばらく一緒に暮らしたという話もある。飛45はネグロス島シライ基地で19年11月23日最後の1機を失った。残置部隊といっても要は置き去りである、もはや輸送船も無く、負傷将校を乗せた輸送機が撃墜され全員死亡するという状況であった。20年3月には島々に米軍上陸が始まり、30日ネグロス島上陸、北部のシライ山(1500m)に向い退却する。
「栄養失調で体が膨れ上がると死んでゆく、穴を掘ると蛙が沢山入るので丸ごと煮て食った、奥に入ると山菜も無く、これが沢ガニ、カタツムリ、ミミズに変わり、夜は服の縫い目を噛み潰し、蚤の血を吸った」第5話は、続ジャングルの地獄である。
第5話はTと同じ隊のK准尉、軍曹の文を参照している「この時期ネグロス島は季節が悪く丁度雨季であった、工兵隊により断崖の谷間に掛けられた蔓梯子、その下には渡れずに白骨となったもの、腐れかけたもの、落ちて半死のもの、それも雨が降ると滝となって流されてしまう。水溜りで水を呑むと油がギラギラしている、よく見ると岩陰に腐敗した死体が悪臭を放っているが気にはならない。山に近付いた頃B上等兵がA軍曹を連れているのに出会った。彼は最前線のタコツボで、飛行機から外してきた機銃で奮闘し、栄養失調で失明したというのである。Aは精神的にも異常を来たしているらしく、飢えが嵩じてBが口を動かせば、見えないながら何を食っているのだとせがまれるという。サツマイモを10個ほど与えた、彼らは喜んで食べていたがそのAもまもなく病死したらしい」KY准尉は義父曹長)とO及びI上等兵を連れて付近の村落に塩の徴発に出かけ、川を渡り中頃まで進んだとき、住民側から銃撃されて一旦川に倒れたがすぐに起きあがり軍刀を抜き、俺は日本人だぞ、と叫んだ途端再び弾を受け死んだ。I上等兵も帰らず、O上等兵は肩を貫通され暗くなってから帰ってきた。T曹長は無事だった」「月29日K上等兵が栄養失調による衰弱のため死んだ。Kの最後の言葉は綺麗な水で体を洗って死にたいなー、だった」飛行機乗りの最後は空中でバラバラになるか、不時着が不可能な時は敵に体当たり又は垂直に突っ込んで自爆であったから、今生での切実な願いだったに違いない。最終第6話は、敗戦、投降だ。
日本は20年8月15日降伏していた。18日「戦いは終わった」というビラが観測機から撒かれた、大隊本部は指示を待てという事であった。住民の発砲もなくなり、9月4日に司令より投降する命令が出て、ひげを整え銃を捨てて白旗を掲げ持ち山を下った。上陸用舟艇車に大勢乗ったのに、降りて押せと言われるかと思ったら坂道を苦も無く走って、着いたのはファブリカの大きな木材工場の倉庫であった。上が米軍の宿舎で、床下土間に段ボールの箱を敷いたのが投降者の宿舎であった。全員処刑されるという噂などもあったが、米兵も水を飲むのに並んで順番を待っているし、また回りを気にしてタバコの吸殻を石の下に隠す、このように社会性でも、「鬼畜米英」などと言っていた日本が何時になったら追いつけるか、というほど大人であり、進んでいる事を教えられた。何日かして港から大型上陸用舟艇で全員移動し、レイテ湾らしい所に着きブルドーザーが上陸地を均しているのに驚いた、数キロ歩いて門柱とばら線の張ってある収容所に着いた、タクロバン収容所であった。早速丸裸にされ先に収容されていた血色の良い日本兵から衣服一式が渡され、脱いだ衣服はすぐ横で燃やされて蚤とも分かれた。途中道路の両側に並んだ段ボールの物資や、雑草退治に「血の1滴」と言われたガソリンをかけて焼くのを手伝わされ、国力と物資量の違いに、苦しんで何をやって来たのかという思いを持った。物語はこれで終わる、こんな経験をした人たちはもう思い出に苦しまないで良い所に行った、だが私たち戦中生まれの心には何かが残っている、それを書いておきたかったのだ。
著者はこの話を始め 、大陸移動、種の進化などから在来種と移入(侵入)種という区別は、時間軸に沿って考えると成り立たないことを証明している。自然環境保護と称して多額の税金を使い長い時間をかけ結局何も目立った効果が上がらなかった例が多い。一度消滅して再度自然に、または人口的に定着した複雑な過程を経たもの、侵入種の丈が高い場合、在来種が丈の高い方向に変化し進化圧により別の種になっていくものもある、結局自然は人間がいじくり回し改変した環境に対応して移動するか、または人間や物流と共に移動した場所で生きてゆくのだ、生物種は混じり合い相関して進化し、少し長い時間で見れば(生物の歴史で見ればほんの一舜だが)平衡状態に近くなる。これだけであれば生態学的に見た環境保護の批判的内容なのだが、作者はさらに「わたしたちの進化の歴史と関係し、人間が危険をどう察知するかという問題にかかわる、もっと根深い心理的な理由もあるように思える、わたしたちは抽象的で非人間的な脅威―中略―マラリアや気候変動や肥満には十分な関心を払わない。逆に、目に見える相手には敏感だから、テロリストや暴力犯、小児性愛者には過剰なほどの不安を感じるのだ。」「民族的出自にかかわらず、誰もが環境保護、文化遺産保護活動に完全参加できるようにすることを目標に掲げる団体、ブラック・エンヴィロンメント・ネットワークが、外来生物排斥が外来人間排斥へと転化する境界線の微妙さを懸念して、両者にもっと寛容にと盛んにキャンペーンを張っていることは、注目していいだろう。」と述べている。人類の発生期には複数の種があったこと、現在のアメリカ大統領の言動などを照らし合わせ考えるべき点が多い。
“ある知性が与えられた時点において、自然を動かしている全ての力と自然を構成している全ての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力を持っているとしたならば、この知性は同一の方程式のもとに宇宙のなかの最も大きな物体の運動おも包摂せしめるであろう、この知性にとって不確かな物は何一つないであろうし、その目には未来も過去も同様に現存することであろう”「ラプラスの悪魔」といわれるこの究極の決定論は、世界がただ坂を転がり落ちる岩のように決められたところに向うだけだと述べ、デカルト的2元論の精神世界を否定した。アインシュタインが求めて得られなかったのは、この方程式である。
以後ボーアとハイセンベルグの不確定性原理(量子力学では位置と運動量は同時に確定できない)により量子の世界でこの考えが否定された。進化論も偶然が世界を造ったといい、ダーウインは“世界と人間は神に創造された”という宗教や芸術の世界を壊したという非難と戦った。リチャード・ドーキンスは最近の分子生物学にもとづいた「利己的な遺伝子」で個体は生存競争で淘汰された遺伝子による世界との競争手段であり、人間も同じだと述べ、一般の人の希望や努力をくじく考えだと非難された、しかし次の著「虹の解体」でガリレオが光学分析で虹のロマンチックな世界を壊したとして非難された例を挙げ、本当の科学の進歩、例えば現代の量子物理学による宇宙探索などは、これまで常に対立してきた芸術等にもっと大きな夢を与えてくれるだろうと言っている。もっと身近な対立の例として、マイクル・シャーマーは書名:なぜ人はニセ科学を信じるのか UFO、カルト、心霊、超能力のウソ" でカルト・心霊・占いなどの商業化を社会問題として、皮肉を込めてユーモラスに書いている。
アメリカでは最近まで進化論と神が人間を創ったという原理主義を対等に扱うべきだと言う裁判が行われ、宇宙開発でソヴィエトに先を越され、科学教育の遅れが問題となってやっと判決が出た、これをモンキー裁判と言いシャーマーも証言をした。これを担当したのが死刑廃止論で有名な弁護士クラレンス・ダーロウである。
さて彼のもう一つの有名な裁判は「レオポルドとローブ事件」だ、この事件はシカゴ大学生、ハーバード入学予定という二人の若者が、動機なく犯した不可解な殺人事件だ。ダーロウは法廷で前代未聞の議論を展開し彼らを死刑から救った、脳内物質のバランスが彼らを犯罪に至らせたというのである、旧くから行われてきた障害と脳の損傷部位の対比による脳の研究に加えて、最近は化学的な分析による脳内物質の働きや、スキャンによる脳の電気的に活性化した部位の解明などが進んで、外部情報―神経伝達―脳の指令経路が分かるようになりこのような議論が可能になったのだ。
例えばトゥレット症候群と言われる病気、パーキンソン病・ハンティントン舞踏病・コプロラリア(汚言症:友人を侮辱する言葉が衝動的に出る)などは、大脳基底核の損傷が原因とされるが、プロザックと言う薬でセロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリンといった脳内物質をコントロールする事で改善できると言う。前に紹介したジョナサン・モレノ「マインドワーズ・操作される脳」では、この分野が軍事的用途の為に研究され、例えば3日間眠らずに戦える兵士を造るなどの意図で飛躍的に進んだ事が書かれている。自分は肩、腰の痛みを抱えて痛み止めを飲んでいる、以前は「消炎酵素剤」であったが、最近薬が変わり、飲み始めは徐々に量を増やし、やめる場合も徐々に減らさねばならないと言われた。はてどんな薬かと調べてみたら、やはりこの系統の薬であった。しかしいくら技術が進歩し脳のメカニズムが解明されても人間の生涯における多重な記憶とそれによる判断をコンピューターのアルゴリズム(判断の道筋のようなもの)にすることは出来ない、つまり決定論には出来ないというのが著者の指摘である。
1895:レントゲンX線発見、1904:キュリー夫妻ラジウム精製、1900:プランク量子論、1903:ラザフオード・ソディ核分裂、1905:アインシュタイン特殊相対性理論1911:ラザフォード・ボーア原子モデル、1922:ハイゼンベルク・ボルン行列式力学、1926:シュレーディンガー波動方程式、そして1930:ヒトラー政権を取る。
この本にヒトラーは登場しない。苦渋に満ちた時代に生きた3人の物理学者、マックス・プランク ピーター・デバイ ヴエルナー・ハイゼンベルクを中心に、その他同時代のいずれもノーベル賞を受賞した科学者たちの考え方、選択した生き方を、研究成果やナチスへの対応に関連付けて述べている。その中から現在核エネルギーの他に、発生している遺伝子工学、情報工学、環境工学など潜在的に社会を破壊する力を持つに至った科学に、開発者がどう向き合うべきかを論じているのだ。
時間を圧縮して過去をさかのぼって振り返ってみれば、原子構造の発見から広島・長崎の破壊までの道は驚くほど短い。なにせ一世代のあいだで起こってしまったのだ。その出発点に居合わせたマリー・キュリーが、もし彼女が研究中の被曝による貧血症という致命的な害によって11年前に亡くなっていなかったら、日本の二つの都市が廃墟になるのを目撃できたほど短い期間であった」
*「今日の他の独裁政権と同じように、ナチスは、その権力が野蛮な抑圧によってではなく、指導者を力ルト的な存在へ持ち上げることを含む、宣伝とポピュリズムによる支持の大きさによって得られることがわかっていた」
ナチスが何を行っているか見えてくる中で、ぎりぎりに脱出した者とその補助者、英雄的にレジスタンスとなり、又はスパイとして内部に留まった者の話には感動する。破壊的兵器の製造に至らなかったのは、独裁政権は抽象的なことが理解出来ず、目に見えない量子論を嫌い、ユダヤ系と言う事で多くの主要な科学者を国外に出してしまった事である。原子炉は臨界直前まで行っていたが、Vロケットの開発に手を取られ、戦局も見る間に敗戦に傾いたからだ。
アインシュタインはアメリカ出国の後、次のように述べている
*「政治的な問題、広ぃ意味で人間に関わる問題に対して、科学者は沈黙を守るべきというあなたの意見には同意できません。そのよぅな抑制は責任感の欠如を意味するのではないでしょうか私は自分が言ったことの一語たりとも後悔していませんし、私の行動は人類に役立ってきたと信じてぃます。」*「物語が私たちに教える教訓を学ばないまま、政治的また経済的なフラストレーションや幻滅を排して1つになろうと、又別の独裁制を待望する事になっては成らないのだ」
*「著名な物理学者たちのナチスとの関係は三者三様であった。いずれも当時の科学者の支持を得、戦後になってナチスとの協力を問題にされたときも皆無罪であると主張した。積極的にナチスを応援したわけではなく、科学の発展のみを考えていただけであって、自分たちはあくまで「非政治的」であったとしたのだ。このような科学者の態度こそがユダヤ人虐殺やおぞましい人体実験などを許容することになったとは考えなかったのである。この心情は現在の科学者にも共通しており、科学の軍事利用が進んでいく一つの大きな理由となっている。つまり、本書はナチス時代の科学者の典型的な言動を描きながら、それに追随した多くの科学者たちの存在を示唆し、それは現代にも共通していることを暗示している。本書が、科学と社会の関係はいかにあるべきかをじっくり考える手がかりとなることを願っている。」
自分も工学系の学校を出たが、常に、日本の科学・工学系の人間が社会の動きに関心を示さないのは全くおかしいことだ思っている。 *=本文 #=訳者解説
ブロードウェイ大通り Nik Cohn 1995 The Heart of the World 訳 古草 秀子 渡会 和子 河出書房新社
著者は、40年前1977年、丁度私が大学を卒業し働き始めた頃、世の中にディスコがはやっていた時のアメリカ映画「サタデーナイト・フィーバー」の原作者である。イギリス人の父とロシア人の母の間に生まれ、アイルランド・ダブリンで育ち1975年アメリカに移住した。此の本は、ニューヨーク・マガジンに書いた記事が大当たりして、映画やミュージカルになった収入で、丁度ジョイスの小説ユリシーズで主人公がダブリンの町をさまようように、ブロードウエイをその発展の歴史をたどって南から北に、いろいろな人間が脚光を浴び、没落した身の上話を街の転変に重ねて描いたノンフィクションだ。その人間たちも、性倒錯者、証券マン、市議会議員、ボクサー、賭博狂い、元麻薬中毒、ショウガールなど、全て盛り場の移動と共に落ちぶれたものばかりだが、この本を読んでどこか爽やかさを感じるのは、作者の強烈なニヒリズムと、人間の弱さへのやさしい眼差しなのだ。
なぜこの本を読もうと思ったか。
理屈っぽい本が好きなので、たまに軽い内容の物を読もうと思い図書館で見付けたのがこの本だ、昨年6月旅行でニューヨークに寄り、5番街32丁目の安宿に泊まった。西に歩けばすぐにマディソンスクエアガーデンで地下がボストンへの列車が出るペンステーションだ、昔はサーカスの行われる公園だったのでこの名がある、今は大きなアリーナでロックイベントをやっていた。ブロードウウェイは南端のバッテリーパークから17丁目まで北上し、そこから碁盤目の街を唯一斜めにセントラルパークの南西角へ延びる。23丁目の鋭角の角が初期スカイスクレーパーの傑作、ダニエル・バーナム設計のフラットアイアンだ。この辺りに住む友人の芸術家岡本陸郎氏夫妻と、夕食はレストランでパエリアを、翌朝はすぐ前の公園でスズメにパンを上げながら朝食を共にして分かれボストンに向った、このような経緯で本のタイトルに目を引かれたのだ。ちなみに氏は作品を持帰り九州九重に個人美術館を開いている、興味のある方は下記ホームページを見てください。
http://www.rikurookamotomuseum.com/info.htm
2.何故この本について文を書こうと思ったか。
それは次の話がスキャンダルとして出てきたからだ。「マディソン・スクエアは「地上の楽しみの園」となった。そして、ブロードウェイは、その「金ぴか時代」に突入した。「金ぴか時代」は、はっきりしないが188O年代のどこかで始まり、終わりはもっと明確で、1906年6月25日の夜、ハリー・ソウがスタンフォード・ホワイトを撃ったときとされている。」
ホワイトはアメリカの1世を風靡した建築家で、私も設計事務所勤務の時代に、過去の様式を用いた建築を、H.H.リチャードソンやホワイトの作品で学んだので、この文にショックを受けた。ホワイトの死因は知らなかったが、撃ったのが億万長者で、アイドル女優をめぐるトラブルが原因というので、ブロードウェイでは最も知られた話らしい。 ホワイトは米国の建築史でどのような位置を占めるかを述べよう。国家的仕事を行った建築家はリチャードソン(Henry Hobson Richardson)1838~1886に始まる、ハーバード・パリのボザールを出て多くのロマネスク様式を用いた作品が残る、主作品にボストンのトリニティ教会がある。ホワイト(Stanford White)1853~1906は6年間リチャードソンの基で働き、ヨーロッパ遊学後Mckim.Mead & Whiteとして3人で建築事務所を創設し、ワシントンスクエア凱旋門、2代目のマディソンスクエアーガーデン、学校や住宅など多くの作品を残した。これ以後シカゴ万博計画に集結したチャールス・マッキム、ルイス・サリバン、ダニエル・バーナムなどの中でバーナム(Daniel Burnham)1846~1912はBurnham & Root事務所としてニューヨークのフラットアイアンやシカゴのルッカリーなど多くの高層ビルを設計しシカゴ派と呼ばれる。日本に旧帝国ホテルなどの作品を残したライト(Frank Lloyd Wrighit)1867~1959もサリバン、バーナムの基で働いた。
3.スタンフォード・ホワイト、イヴリン・ネスビット、ハリー・ソウの三角関係
「この時代は、アメリカが莫大な富と絶大な自信を持った時代であり、優美、けばけばしさ、そして単なる愚かさが混ざり合っていた時代だった。ホワイトはそのすべてを一身に備えていた。芸術家にして世馴れた都会人、紳士にして遊び人。建築家としては、古典主義と大げさな装飾をボザール風に自由に折衷し、公共建築の様式の輪郭を定め、大きな影響を与えた。ホワイトは火山なみに精力的だった。公的には、二代目のマディソン・スクエア・ガーデンによって、ホワイトの名声は頂点に達した。私的に彼が勝ち取った最大のものは、イヴリン・ネスビットだった。そして最後に、この公と私の関係は、もつれあって因縁話へと発展する。まず、ガーデンの話がもちあがった。バーナムが引退したあと新たな大施設を建てようということになり、マッキム・ミード・アンド・ホワイト建築事務所に声がかかった。そして4OO万ドル余りをかけて、まるまる一ブロックを占める「遊びの殿堂」ができあがった。アンフィシアターと呼ばれる大円形競技場は一万七干席、屋上にはひときわ高く、セビリャのヒラルダの塔を模した塔が聳えていた。
イヴリン・ネスビットは、1901年に登場した。ブロードウェイに来たばかりの16歳で、大当たりのショー「フロロドーラ」のコーラスガールをしていた。このうえなく魅力的な女性で、卵形の顔に、腰まで伸びた赤褐色の髪、ラファ工ロ前派の絵のような華奢な体つきは、時代にぴったりの美しさだった。やがて、スタンフォード・ホワイトの目にとまり、ホワイトは大衆の好奇の目が及ばない西24丁目のロフト・スタジオで、彼女にシャンペンをふるまった。スタジオの一隅に、緑の蔦をロープにからませた、赤いびろうど張りのぶらんこがあった。ホワイトはぶらんこに彼女をのせて、揺らしそのあと、鏡だらけの部屋で言葉巧みに誘惑した。スタンフォード・ホワイトの新しい愛人として奉られ、イヴリンは裸で赤いびろうどのぶらんこにのって、天まで届けとばかりに足を蹴りあげていた。
やがて成り行きで、彼女はハリー・K・ソウと結婚することになった。ソウは欠陥人間だったが、4千万ドルの遺産の相続者だった。 結婚はうまくいかなかった。スタンフォード,ホワイトへの恨みはくすぶり続けた。「俺の妻をひっかけて、ものにした、あのげすなでぶ野郎」そしてとうとう、ソウはマディソン・スクエア・ガーデンの屋上庭園に行き、ホワイトの眉間に三発、撃ちこんだ。」
4.この本で考えたこと。
古今、建築家はあまり派手な事がなく、事件に巻き込まれたのを聞かない。
フランク・ロイド・ライトが駆け落ちした夫人との住居兼アトリエとして建てたタリアセン・ウェストを、狂った使用人により放火で焼かれ、婦人と子供2人、弟子4人が惨殺された事件が有るが、本人がスキャンダルで殺されたのはスタンフォード・ホワイトくらいだ。私が師事した村野藤吾先生や、そのまた先生の渡辺節氏など、ずいぶん粋な遊びもしたようだが、あくまでその時代のオーナー・クライアントとの付き合いだ。ホワイトも村野先生も建築様式を使いこなすという点では同じで、私も勤務時代にホワイトの作品集を勉強した。だが彼はその能力を芸術に昇華させるだけでなく、欲望の為にも使った。
この事件が自分の1/3の年齢の女性を愛人とした結果だ。資料によれば、ソウの家系には精神異常者が多く、金の力で異常者として刑を逃れ、後に正常者と主張し施設を出ている。ネスビットは不道徳な女性だったという説がある、ソウの家から金を貰い、子育てをして普通に暮らしたという。